トップページ > 観光・レジャー > 江戸伝統野菜 > 「復活!あらかわの伝統野菜」だより > 「復活!あらかわの伝統野菜」だより 第5号
更新日:2013年2月13日
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かつて江戸時代に、荒川の地で生産されていた野菜たちの復活作戦。
区内では、伝統野菜に関する取組が始まっています。ここでは、これら区内の伝統野菜に関連する情報をお伝えしていきます。
あらかわの伝統野菜の一つである汐入大根。こちらにも熱い視線が注がれています。農産高校での収穫もそろそろ・・・と思っていたところへ、汐入大根の地元、南千住のリバーパーク汐入町会婦人部長の川上かつ江さんから、情報が寄せられました。
例年、胡禄神社では若睦会(メンバー75名)の方が中心となり、大晦日から元日にかけての初詣の参拝客に大根汁を振る舞ってきました。かつて、この地で汐入大根が栽培されていたことを語り継ぐためです。しかし、汐入大根はあまり市場に出回っていないため、汐入大根そのものを調理することはできませんでした。
ところが、今回は、元汐入のお住まいだった杉山秀二さんから、杉山さんが野田市で栽培した汐入大根を分けてもらい、大根汁に加えて、みなさんに味わっていただいたとのことです。
毎年楽しみにしている方も多く、約千人分の大根汁2時間でなくなってしまうほどの人気ぶりだったそうです。今回は、大根汁のすべての大根を汐入大根でまかなうことはできませんでしたが、若睦会のみなさんは、いつの日か汐入の地で大根を育てて大根汁を作りたいと意気込んでいます。
杉山さんから届いた汐入大根
前日から仕込みをする若睦会のみなさん
寒い中、熱々の大根汁が振る舞われました
三河島菜が栽培されていた頃の荒川・・・江戸から明治時代にかけて、荒川区には大都市江戸東京の近郊農村として、田畑が広がっていました。今となっては想像できない光景です。それを裏付けるように、明治27年に根岸に移り住み、亡くなる同35年までをここで暮らした俳人・正岡子規の歌にも三河島菜や三河島菜を連想させるものがあります。ご紹介しましょう。
朝露や青菜つみ出す三河嶋
冬枯の一隅青し三河嶋
「朝露や・・・」の句には、「青菜」と書いてあり、これが三河島菜かどうかはわかりませんが、三河島で青菜が積まれている風景が表現されています。また、次の「冬枯の・・・」の句では、冬になって草木が枯れ果てた中、一隅に青く茂った様子が見える、つまり、青菜が植わっている光景を表現したものと考えられます。三河島の地には、青菜の畑が広がっていたことが想像されます。
緋の蕪の三河島菜に誇って曰く
凩(こがらし)に三河島菜の葉張りかな
この二句には、ずばり「三河島菜」が登場しています。
「緋の蕪・・・」の作品は、掲載されている俳句稿に、「根岸の草庵に故郷の緋蕪をおくられて」とあるので、故郷松山から送られてきた緋の蕪の見事さは、三河島菜にも負けていない風情であると表現した作品かと思われます。
「凩の・・・」の句では、秋の末から冬の初めにかけて吹く強く冷たい風に、三河島菜の葉が(ぴんと)張っている様子を表したものと考えられます。
(※注釈 以上、俳句の解釈は、参考文献を調査し、推測したものです。参考文献については、松山市立子規記念博物館より提供を受けました。)
子規が暮らした家(現在の建物は昭和25年に再建され、同27年東京都文化史蹟に指定)は、現在、「子規庵」として公開されています。
※注釈 地図は日暮里・谷中散策マップをご覧ください
区では、伝統野菜を使ったレシピ開発やお店でのメニュー展開に興味関心のある事業者(飲食店等)の方を募集しています。既にいくつかのお店から問い合わせも来ています。ご興味のある方は下記までご連絡ください。
あわせて、あらかわの伝統野菜に関する情報を発信し、活動を盛り上げてきたいと考えています。「自宅で栽培をしています!」「仲間と活動を進めています!」といったみなさん、荒川区観光振興課までお知らせください。
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お問い合わせ
産業経済部観光振興課観光振興係
〒116-8501荒川区荒川二丁目2番3号(本庁舎6階)
電話番号:03-3802-3111(内線:461)
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