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太田道灌

太田道灌は、江戸城を築いた人物として知られています。

室町時代終わりから戦国時代初めにかけて関東管領山内上杉氏を補佐した有力な一門・扇谷上杉氏に仕える武将でした。この頃、関東地方は内乱の時代を迎えており、江戸城は関東北部から侵攻する敵を防ぐための重要な拠点でした。また、道灌は、歌道にも精通しており、文武両道の人物でした。

荒川区には、道灌が支援した武蔵千葉氏の居城・石浜城跡(南千住)、道灌の物見塚や出城があった日暮里(西日暮里)、道灌の鷹狩りの地として山吹の里伝説が伝わる三河島(荒川)などの関連が深い史跡があります。

日暮里の道灌伝説

日暮里には太田道灌ゆかりの史跡が多くあります。

本行寺(西日暮里三丁目)には道灌の物見塚があったことを示す道灌丘碑、青雲寺(西日暮里三丁目)には舟で道灌の出城を目指すための目印となったという日暮里船繋松の碑があります。また、諏方神社(西日暮里三丁目)は出城の鎮守となり道灌から社領を寄進されて庇護を受けた由緒ある神社です。道灌山(西日暮里四丁目)は道灌の出城が置かれたという伝承が地名の由来とされています。

三河島の山吹の里伝説

「山吹の里伝説」は荒川区でかつて三河島と呼ばれた花の木(荒川六丁目)、泊船軒(荒川七丁目)に伝わっています。豊島区高田、埼玉県入間郡越生町など、各地に伝承地があります。

道灌は鷹狩りの最中に、突然のにわか雨に遭い蓑を借りようと農家に立ち寄りました。その時、娘が出てきて山吹の花を差し出しました。道灌は蓑を借りようとしたのに花を出されたので腹を立てます。

後で家来から「『七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞ悲しき(兼明親王)』という古歌をご存じですか。「実の」と「蓑」をかけて、お貸しできる蓑が無くすみませんというお詫びの意味を込めて、山吹を差し出したのですよ」と教えられます。道灌はこれを恥じて、和歌の勉強に一層励んだとされています。

三河島には道灌と和歌や詩歌の交流があった歌人の万里集九や木戸孝範の居所があったと伝わっています。

日暮里駅前の銅像

日暮里駅前にある2体の銅像はいずれも東京荒川ライオンズクラブより荒川区に寄贈され、太田道灌ゆかりの地・山吹の里伝説の地にふさわしい作品として、日暮里駅前に設置されました。

太田道灌像「回天一枝」

太田道灌像「回天一枝」「山吹の里伝説」にちなんだ鷹狩り装束の道灌の騎馬像です。

この像は、平成元年12月に橋本活道氏(僧侶・彫刻家)が制作し、鈴木俊一氏(元東京都知事)が「回天一枝」と題しました。

太田道灌像「回天一枝」 所在地等

 

山吹の花一枝像

山吹の花一枝像「山吹の里伝説」で山吹の花を道灌に捧げた少女の姿を現した像です。

この像は平野千里氏(荒川区顧問・彫刻家)が制作し、平成30年5月に設置されました。

山吹の花一枝像 所在地等

 

 

 

 

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お問い合わせ

太田道灌について

地域文化スポーツ部生涯学習課荒川ふるさと文化館
電話:03-3807-9234

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産業経済部観光振興課観光振興係

〒116-8501荒川区荒川二丁目2番3号(本庁舎6階)

電話番号:03-3802-3111(内線:461)

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