トップページ > 観光・レジャー > 観光情報・魅力紹介ページ ようこそ!あらかわ > その他の観光情報 > 観光モデルコース > 観光モデルコース 2 荒川区南千住 歴史と文化コース
更新日:2024年9月30日
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所要時間:3時間54分
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JR南千住駅
品川の鈴ヶ森刑場と並ぶ江戸の刑場で、明治時代初めに廃止されるまで磔(はりつけ)・斬首などが執行されていました。「首切地蔵」が、当時ここに眠る人々の霊を静かに見守っています。
吉田松陰・橋本左内ら幕末の志士の墓や、鼠小僧次郎吉・片岡直次郎・高橋お伝らの墓があります。杉田玄白や前野良沢らがここでの刑死者の解剖見学をきっかけに「ターヘル・アナトミア」を翻訳し、「解体新書」を刊行したと言われています。これを記念して、本堂入口右手に「観臓記念碑」が建てられています。
荒川区内で最も広い地域の鎮守です。六月の天王祭(区登録無形民俗文化財)では、担ぎ棒2本のみで屋根の鳳凰が地面につくほど神輿を左右へ倒して激しく振る勇壮な二天の神輿振りが圧巻です。また、文政3年(1820)に千住宿に集う文人たちにより建てられた松尾芭蕉奥の細道矢立初めの句碑(区指定文化財)があります。
徳川家康が江戸に入って初めて架けた橋です。この辺りは江戸の北の玄関口であり、松尾芭蕉もここから奥州へと旅立ちました。歌川広重の名所江戸百景「千住の大はし」にも描かれています。橋は昭和2年(1927)に鉄橋化されました。現存するタイドアーチ橋としては日本最古のものです。
荒川区の歴史・文化を楽しみながら学び、探求できる施設です。昭和41年の復元家屋の展示、伝統工芸品の展示や実演、ワークショップなどを定期的に実施するあらかわ伝統工芸ギャラリーもあります。また、回向院にあった「橋本左内の墓旧套堂」が荒川区に寄贈され、ここに復元・保存されています。
殖産興業をすすめる明治政府が建てた、日本初の官営毛織物工場である千住製絨所の煉瓦塀の一部が残っています。後、陸軍の工場となり、軍服や警察官の制服生地を製造していました。
かつて「光の球場」と呼ばれた東京球場(東京スタジアム。現・千葉ロッテマリーンズの本拠地)があった場所です。また、周辺には、千住製絨所初代所長井上省三の胸像があります。
慶應4年(1868)の上野戦争後、戦死した彰義隊士を供養・円通寺境内に墓所を建立し埋葬したのが円通寺の住職という縁で、上野寛永寺の黒門が移設されました。そこに残る弾痕は、戦闘の激しさを現在に伝えています。また土方歳三や近藤勇など幕末に活躍した人物の墓「死節之墓」や天野八郎や榎本武揚ら旧幕臣の墓碑などが多数あります。
早稲田~三ノ輪橋間を運行する「都電荒川線」の起点・終点停留場です。関東の駅100選の一つで、平成19年には昭和30年頃をイメージしたレトロ調のデザインに改修されました。沿線では、花の時季に「花の観光地づくり大賞」を受賞した約140種、13,000本のバラが咲き誇ります。平成30年10月に三ノ輪橋おもいで館が開設。都営交通に関するご案内や都電の定期券、一日券、グッズ販売などを行なっています。定休日は毎週火・水曜日(祝日の場合は営業)です。
安政2年(1855)の大地震で犠牲となった、新吉原の遊女達の遺体が投げ込まれたと伝えられ、「投込寺」とも呼ばれる寺です。境内には、当時の悲しい出来事を伝える「新吉原総霊塔」のほか、永井荷風の詩碑もあります。
JR南千住駅
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