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荒川区再発見6「東尾久」

満光寺 尾久本町通り 町田桐タンス製作所 都合により掲載を中止しています 尾久橋 区立東尾久運動場 都立尾久の原公園 宝来屋

1. 満光寺

外観






満光寺阿弥陀と満光寺稲荷
阿弥陀如来像と二羽稲荷

お地蔵さん
  庚申塔
 「阿弥陀如来の光が満ちあふれる寺」という意味が、その名に込められている「満光寺」。浄土宗の寺院で、二葉山尾久院とも称されます。江戸時代に相次いで発生した水害によって詳細な歴史は失われてしまいましたが、当初は天台宗の寺院として南北朝末期から室町時代に建立されたと推測されています。浄土宗としては上野二葉村(現・台東区)の名主・二葉和泉守により開基され、上野不忍池付近にありましたが、寛永寺の造営の際に現在地に移転しました。

  境内には、永和元(1375)年銘や天文年間(1532〜55)の6基の板碑(いたび、内4基は中庭にある)や、2基の庚申塔(こうしんとう)があり、永い歴史を感じさせます。板碑とは、故人の供養のための石造りの卒塔婆(そとば)のこと。鎌倉から江戸時代にかけて、主に関東・東北地方で作られました(庚申塔については、「荒川区再発見・町屋編」の「町屋の一本松跡」をご参照下さい)。また、二葉地蔵・二羽稲荷・二葉閻魔(えんま)大王など、二葉家ゆかりのものが目立ちます。稲荷のみ「葉」ではなく「羽」の字が使われていますが、2枚の羽が組み合わさった満光寺の寺紋「違い鷹の羽」に通じているようです。

 赤い立派な山門と鉄筋コンクリート造のモダンな本堂が印象的ですが、これは昭和44(1969)年に建て替えられたものです。当時、二羽稲荷社と二葉閻魔堂は失われ、ご本体だけが本堂に祀られていましたが、昭和49(1974)年に江戸時代の記録に基づいて造り直しました。また、昭和61(1986)年から墓地の整備工事に着手し、納骨堂の上に阿弥陀如来像を安置し、尾久本町通りに面した場所にあった二葉地蔵もそちらに移しました。毎月9の付く日に催されている満光寺の縁日(16:00〜21:00)は、この二葉地蔵の縁日です。昭和45(1970)年より境内はラジオ体操の会場にもなっていますが、参加者の中には毎朝、阿弥陀如来・二葉地蔵・二羽稲荷・二葉閻魔をお参りする方もいらっしゃいます。

 また、満光寺は、「華蔵院(けぞういん)」(現・東尾久8丁目)に場所借りをして開校していた上尾久村初の小学校「私立田辺小学校」が明治15(1882)年に満光寺に分校を開校、後に「私立井上小学校」と改称し、田辺小学校と並んで現在の尾久小学校の前身となったことでも知られています。

 29世住職・高田昭仁さんは「荒川史談会」の会長を務めるほどの荒川区通です。一度お話を伺ってみてはいかがでしょうか。
●所在地:荒川区東尾久3-2-4
●電話:03-3895-6849
●都電荒川線町屋二丁目停留所下車徒歩2分・東尾久三丁目停留所下車徒歩3分

問い合わせ先 荒川区管理部情報システム課
電話:03-3802-3111(内線 2151)
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