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荒川区再発見 都市観光編4「町屋」

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4. 町屋の一本松跡
2代目の松
2代目の松
本松グリーンスポットの様子 一本松グリーンスポットの様子
  「一本松グリーンスポット」の一角に、「町屋の一本松」の跡があります。1本の松の木がありますが、これは「一本松」ではありません。残念ながら第二次世界大戦によって枯れてしまい、植え替えられたのです。ですから、現在の松は「二代目・町屋の一本松」と呼べるのかもしれません。

 町屋の一本松は、元禄6(1693)年に町屋村と三河島村との境に植えられたと伝えられています。丸い小山となった庚申塚に松の巨木がポツンと佇む姿は、さぞかし印象的だったのでしょう。「三河島八景」のなかに「庚申の暮雪」という絵が残されており、雪景色の中にそびえ立つ一本松の姿が描かれています。

 高徳の僧がさる代官により斬首され、首をさらされたという伝承から別名「首懸(くびかけ)の松」とも呼ばれていました。また、枯れた松を植え替えた際に、根元の地中から数100年を経た刀や人骨が発掘されたそうです。この場所は、江戸時代の人にとっては、ちょっとしたホラースポットだったのかもしれませんね。巨大な松の木は、一体どんな歴史を目撃してきたのでしょうか。

庚申塔
庚申塔
  一本松の根元にあった寛文8(1668)年9月吉日銘の「庚申塔」は、今も残されています。庚申塔とは、六十干支の庚申の日に「庚申講」を3年間続けた記念に建立された石碑で、全国各地に見られます。庚申信仰は中国から伝来し、江戸時代に流行しました。「申」は干支で猿に例えられることから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿や「猿田彦神」などが塔に刻まれることが多かったようです。猿田彦神は道祖神としても崇められていたため、庚申信仰は道祖神信仰と結びついて各地に広がっていきました。また、塔には村の名前や庚申講に参加した人の名前なども記されています。

 江戸時代の人々の生活に思いを馳せることができる、町屋の一本松跡。一本松グリーンスポットの中央にある、可愛らしくて不思議なオブジェがお出迎えしてくれます。

●所在地:荒川区町屋1-9-16(一本松グリーンスポット)
●東京メトロ千代田線

問い合わせ先 荒川区管理部情報システム課
電話:03-3802-3111(内線 2151)
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