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荒川区再発見 都市観光編1 東日暮里

太田道灌像「回天一枝」 都合により掲載を中止しています 馬賊 日暮里サニーホール 日暮里繊維問屋街 旧武蔵川部屋 善性寺 羽二重団子

7. 善性寺
本堂 江戸切絵図 開創は長享元年(1487年)ですが、草創は鎌倉時代にまで遡る古刹。伝道活動中の日蓮上人は、しばしば地下の武士・関氏の邸を通られていました。ある日、難産に苦しむ関善左衛門の妻の願いに応え、杓子に曼荼羅を書いて与えたところ、無事男子を出産しました。日蓮上人の徳に触れ、深く帰依した善左衛門は、宅地内に小宇を建て、杓子と日蓮上人像を安置しました。これが善性寺の濫觴です。

 江戸時代には 6大将軍・徳川家宣の生母、お保良の方が深く帰依したことから、家宣の弟、松平清武を初祖とする越智松平家の葬地と定められました。境内には、清武の墓所をはじめ、越智松平家歴代の墓、浜田藩殉難碑(越智松平藩が島根県浜田に移される)などがあります。

双葉山墓 また、昭和13年に横綱を張るや、69連勝の偉業をなした名横綱・双葉山(穐吉定次。戒名:霊山院殿法篤日定大居士)、明治から昭和にかけ、ジャーナリスト、政治家、経済評論家として活躍した石橋湛山、名脇役で知られる歌舞伎役者・中村又五郎(碑文は小山内薫)、小野派一刀流四世・中西忠兵衛子正のお墓もあります。さらに安土桃山期と伝えられる「不二大黒天像」も、地元の信仰を集めています。春には本堂脇のしだれ桜が美しく、訪れる人の目を楽しませてくれます。
ちょっと寄り道 芋坂
芋坂入り口 善性寺の門前から谷中墓地へのぼる坂。坂名の由来は「自然薯がとれたから」などという説もあります。江戸時代には1本の坂だったのですが、明治15年頃、日本鉄道会社の東北線(現JR)が通じて分断され、その形状が失われてしまいました。現在は、芋坂跨線橋によって、坂上(台東区)と坂下(荒川区)がつながれています。

 王子街道との交差点に名物「羽二重団子」があり、ここが文豪たちのお気に入りのお店だったこともあり、芋坂の名前は、彼らの著書にも数多く記されています。また、幕末の上野戦争で官軍に敗れた彰義隊数百人が、日光へと逃げるため、この芋坂を駆け下りてきたといいます。その際、数名が羽二重団子の店に侵入、刀、槍を縁の下に投げ込み、野良着に変装したという話が残っています。
●所在地:荒川区東日暮里5-41-14

問い合わせ先 荒川区管理部情報システム課
電話:03-3802-3111(内線 2151)
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