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更新日:2022年5月12日

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「尾久本土初空襲から80年パネル展」を開催しています

 荒川区の尾久に本土初空襲があってから今年で80年を迎えます。

 本展は、当時の体験を後世に伝え、戦争の惨禍を再び繰り返さないことを訴えるため、「尾久初空襲を語り継ぐ会」が尾久本土初空襲のあった4月18日に合わせ、毎年、開催しているもので、節目となる今年は、区立尾久図書館において、「尾久本土初空襲から80年パネル展」が開催されています。

 初日の今日は、空襲を思い出して描かれた、体験者の絵画や証言等の展示のほか、荒川区在住の紙芝居士、三橋とらさんによる紙芝居が行われました。

 また、実際に空襲を体験し、語り部として活動している、堀川喜四雄(ほりかわ きしお)さんの体験談に訪れた人々は真剣に耳を傾けていました。

 なお、堀川喜四雄さんの体験談は、期間中、下記の日程で行われる予定です。

  • 4月 9日(土曜)14時~16時
  • 4月10日(日曜) 14時~16時
  • 4月12日(火曜)11時~13時

尾久初空襲とは

 昭和17(1942)年4月18日正午過ぎ、日本本土が初めてアメリカ軍による空襲を受けました。真珠湾攻撃から約4か月後のことです。中でも、最初に被害を受けたのが当時の尾久町八、九丁目(現在の尾久橋付近)で、爆弾3個と焼夷弾1個(集束焼夷弾)が投下され、当時の記録によれば、死亡10人・重傷34人・軽傷14人・全焼43戸・全壊9戸・半焼1戸・半壊13戸の被害があったとのことです。

 落下地点では、直径10メートル、深さ5メートルもの穴あき、家屋が倒壊し、上下水道やガス管も破壊されました。当時、干潮で、消火に隅田川の水を使えませんでしたが、地域の人々の尽力により、13時50分に鎮火しました。

尾久本土初空襲が語られ始めてから

 区民の団体が平成12年から空襲の犠牲者の追悼を始めました。その後、平成21年からは初空襲体験者が中心となり、初空襲の歴史的意義や、戦争の悲惨さ、平和の尊さを後世に伝えていくために、「尾久初空襲を忘れないコンサート実行委員会」を立ち上げ、小中学校の体育館等を会場に吹奏楽や合唱などの「コンサートと戦争体験者の座談会」を行ってきました。

 さらに、平成28年度からは、尾久地区の中学校(6校)と協力をして、より多くの子ども達に伝えていくために「尾久初空襲を語り継ぐ公開授業」を行うなど、様々な活動を行っています。

 また、荒川区教育委員会でも、空襲の事実の風化を防ぐために、平成23年度に「東京初空襲の地」の解説と爆弾落下の推測地点を記した地図などを掲載した「史跡説明板」を東尾久8丁目の熊野前保育園南面に設置するとともに、区内の中学校の道徳教育郷土資料に「尾久初空襲」を掲載する等、周知に努めています。

 

パネル展の様子

パネル展の様子

紙芝居1

紙芝居1

紙芝居2

紙芝居2

 

語り部 堀川喜四雄さん

語り部 堀川喜四雄さん

お問い合わせ

地域文化スポーツ部生涯学習課生涯学習振興係

〒116-8501荒川区荒川二丁目2番3号(本庁舎3階)

電話番号:03-3802-3111(内線:3351)

ファクス:03-3802-3126

区政広報部広報課報道映像係

〒116-8501荒川区荒川二丁目2番3号(本庁舎4階)

電話番号:03-3802-3111(内線:2135)

ファクス:03-3802-0044

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