ここから本文です。
荒川区の尾久に本土初空襲があってから今年で80年を迎えます。
本展は、当時の体験を後世に伝え、戦争の惨禍を再び繰り返さないことを訴えるため、「尾久初空襲を語り継ぐ会」が尾久本土初空襲のあった4月18日に合わせ、毎年、開催しているもので、節目となる今年は、区立尾久図書館において、「尾久本土初空襲から80年パネル展」が開催されています。
初日の今日は、空襲を思い出して描かれた、体験者の絵画や証言等の展示のほか、荒川区在住の紙芝居士、三橋とらさんによる紙芝居が行われました。
また、実際に空襲を体験し、語り部として活動している、堀川喜四雄(ほりかわ きしお)さんの体験談に訪れた人々は真剣に耳を傾けていました。
なお、堀川喜四雄さんの体験談は、期間中、下記の日程で行われる予定です。
昭和17(1942)年4月18日正午過ぎ、日本本土が初めてアメリカ軍による空襲を受けました。真珠湾攻撃から約4か月後のことです。中でも、最初に被害を受けたのが当時の尾久町八、九丁目(現在の尾久橋付近)で、爆弾3個と焼夷弾1個(集束焼夷弾)が投下され、当時の記録によれば、死亡10人・重傷34人・軽傷14人・全焼43戸・全壊9戸・半焼1戸・半壊13戸の被害があったとのことです。
落下地点では、直径10メートル、深さ5メートルもの穴あき、家屋が倒壊し、上下水道やガス管も破壊されました。当時、干潮で、消火に隅田川の水を使えませんでしたが、地域の人々の尽力により、13時50分に鎮火しました。
区民の団体が平成12年から空襲の犠牲者の追悼を始めました。その後、平成21年からは初空襲体験者が中心となり、初空襲の歴史的意義や、戦争の悲惨さ、平和の尊さを後世に伝えていくために、「尾久初空襲を忘れないコンサート実行委員会」を立ち上げ、小中学校の体育館等を会場に吹奏楽や合唱などの「コンサートと戦争体験者の座談会」を行ってきました。
さらに、平成28年度からは、尾久地区の中学校(6校)と協力をして、より多くの子ども達に伝えていくために「尾久初空襲を語り継ぐ公開授業」を行うなど、様々な活動を行っています。
また、荒川区教育委員会でも、空襲の事実の風化を防ぐために、平成23年度に「東京初空襲の地」の解説と爆弾落下の推測地点を記した地図などを掲載した「史跡説明板」を東尾久8丁目の熊野前保育園南面に設置するとともに、区内の中学校の道徳教育郷土資料に「尾久初空襲」を掲載する等、周知に努めています。
パネル展の様子
紙芝居1
紙芝居2
語り部 堀川喜四雄さん
お問い合わせ
地域文化スポーツ部生涯学習課生涯学習振興係
〒116-8501荒川区荒川二丁目2番3号(本庁舎3階)
電話番号:03-3802-3111(内線:3351)
ファクス:03-3802-3126
区政広報部広報課報道映像係
〒116-8501荒川区荒川二丁目2番3号(本庁舎4階)
電話番号:03-3802-3111(内線:2135)
ファクス:03-3802-0044
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください