荒川ゆうネットアーカイブ
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荒川ゆうネットは、平成16年から22年までに開設されていたサイトです。
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ページタイトル:歴史探訪 荒川区の伝統技術
このページでは、荒川区に残る伝統技術や、職人さんを紹介しています。
情報提供協力:荒川区教育委員会
荒川区教育委員会発行「あらかわ職人マップ」より
日本の手工業と荒川区の匠
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「荒川区に残る伝統技術」
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●鋳造
イラスト:鋳造金属を溶融状態で鋳型に流し込み、成形する技法。主に火造り(熱間加工)で行われます。
●鋳金
イラスト:鋳金我が国の代表的金工技法のひとつ。高温で溶解した鉄・銅・金・銀のほか、各種の合金を鋳型の間に注ぎ、冷却して固めた後、鋳型から取り出して、着色・錆止めなどの仕上げ処理をほどこします。弥生時代から始められたといわれ、奈良時代には東大寺の大仏が鋳造されるなど、著しい発展を遂げました。込型、蝋型、双(惣)型、生型、遠心鋳造などの技法があり、特色は金工技法の中で、複雑で精密な造形ができる点です。
●漆塗
イラスト:漆塗海外では陶磁器のことを「チャイナ」、漆や漆器を「ジャパン(japan)」と呼ぶように、古来から知られている工芸品。漆の特徴は、他の塗料と比べ、水・熱・酸・アルカリに対して非常に強いこと。また、乾燥時(液体から固体になる)、湿度や温度を調節することによって、ある程度乾燥の時間を自由に伸縮できることです。漆塗りは、下塗り、中塗り、上塗りまで、漆を塗っては研ぎの作業を繰り返し行うため、根気のいる仕事。良い品物ほど、塗りの回数が多いといわれています。
●和竿
イラスト:和竿江戸和竿とは、何本かの異なる竹(布袋竹、矢竹、淡竹、真竹)を継ぎ合わせ、一本の釣竿にする「継竿」のことをいいます。発祥地は、江戸初期の京都といわれていますが、享保年間(1718〜35年)、天然の竹を用いた「継竿」が江戸でも作られ始めました。製造技術が大きな飛躍を遂げたのは、天明8年(1788年)創業の「泰地屋東作」に負うところが多いと言われ、現代の江戸和竿職人の系譜を溯ると、大部分が初代泰地屋東作にたどりつきます。「江戸和竿」の特徴は、あらゆる種類の魚に応じた竿の製作、竹の表皮を生かした漆仕上げにあります。
●人形生地
イラスト:人形生地人形づくりは分業制で、それぞれの部分を専門の職人が担当しています。人形生地は別名を桐塑、または「ぬき」といいます。ぬきというのは、原型から作った雌型に、桐の粉末を生麩糊で練ったものを詰め込み、抜き取ったもの。人形の顔などは、これに胡粉を塗ります。最近では、ぬきに代わって石膏、焼き物を多用しているそうです。
●衣裳着人形
イラスト:衣裳着人形雛人形、五月人形、市松人形など、衣装を着付けたり着せ付けできる人形の総称。京都で発祥し、江戸では寛永年間以降盛んになりました。江戸における人形作りが、一大飛躍を遂げたのは、5代将軍徳川綱吉の元禄年間(1688〜1704年)の頃。「十軒店」で、雛市が開催されたことに始まるといわれています。わらなどの胴体に顔や手足を付け、衣裳を着せつけて完成させるもので、100回以上の工程を経て、一つ一つ丹念に仕上げられていきます。
●刷毛
イラスト:刷毛塗るための道具として、刷毛はかなり昔から作られていました。刷毛について、記されている最も古い文献は平安時代のもの。そこには漆を塗るためキビの毛が用いられ、さらに麻の毛が用いられたことが書かれています。また中尊寺金色堂からも、漆刷毛が発見されています。江戸時代の享保17年(1732年)に発行された「万金 産業袋」には、「江戸刷毛」の記載があります。現在、江戸刷毛として指定されているものは、経師刷毛、染色刷毛、人形刷毛、漆刷毛、木版刷毛、白粉刷毛、塗装刷毛の7種類です。
●手植ブラシ
イラスト:手植ブラシブラシは明治7年(1874年)ころ、フランス製を手本として製造され始め「洋式刷毛」と呼ばれていました。明治10年、上野公園で開かれた「第一回内国勧業博覧会」においては、西洋型として好評を博したそうです。ブラシの製造に携わったのが、江戸の刷毛職人たちであり、毛は馬毛、木材は樫、穴をあけるにも手モミの錐という手作りでした。手植えブラシは引き線と呼ばれるステンレス線により連続して植毛されているため、機械植えに比べ、とても丈夫です。
●三味線
イラスト:三味線三味線のルーツは中国の三弦です。14世紀末、琉球国に伝わり、蛇皮を用いたので蛇皮線と呼ばれました。三弦が琉球から伝えられたのは、室町時代末期、永禄年間(1558〜70年頃)だと伝えられています。琵琶法師が蛇皮線を用いていたところ、弾いている間に蛇皮が破れたので、他に代わる動物はいないかと試行錯誤を繰り返し、猫皮を用いることを考え出したそうです。江戸では、寛永の頃、現在の三味線音楽の基礎ができあがり、歌舞伎の長唄や、義太夫、一中、常盤津、清元、新内といった邦楽の発達とともに、三味線作りも発達していきました。
●ラシャ切鋏
イラスト:ラシャ切鋏金・銀・銅・鉄などの金属、またはそれらの合金を打ち延ばしたり縮めたりして、茶器、花器、酒器類をはじめ、さまざまな工芸品や生活用品を作る技術のことです。中でも銀器の歴史は古く、延喜式(916年)にも記されており、江戸中期には、町人の間でも広く使用されていました。鍛金という言葉自体は比較的新しいもので、以前は「鎚金師」「鎚起師」「打物師」と呼ばれる職業があり、金属を叩いて造形する作業に従事していたと考えられています。最も重要な道具である鎚類をはじめ、製作に要する道具が非常に多種多様であることが特徴です。
●江戸更紗
イラスト:江戸更紗更紗とは、花鳥や幾何学模様を木綿に染め抜いたもので、3000年以上の遠い昔、インドで発祥しました。日本に入ったのは室町時代。ポルトガル、イスパニア、オランダといった国々から持ち込まれたと伝えられています。江戸更紗は、江戸小紋職人の中から輩出された人たちが広めていきました。30枚を超える型紙を使い、刷毛で丁寧に色を重ねていくため、小紋的な趣きがあります。また、硬水である江戸の水に含まれる鉄分が化学反応を起こし、独特の渋味も生まれました。現在、日本で産地を形成しているのは、東京の江戸更紗だけです。
●刺繍
日本で刺繍が行われるようになったのは飛鳥時代。中国から仏教が伝来し、刺繍による仏像が作られたのが始まりです。現存する最古の作品は、奈良県・中宮寺の「天寿国曼荼羅繍帳」で聖徳太子の死を悼み、推古天皇が作らせたものといわれています。平安時代になると、装飾としての刺繍が広まり、男性の束帯や女性の十二単などに使われるようになりました。江戸時代中期になると、経済力をつけた町人が台頭し、豪華な刺繍を施した着物を生み出します。日本刺繍には京風、加賀風、江戸風があり、刺繍職人は縫箔師・縫物師と呼ばれていました。
●手描友禅
イラスト:手描友禅友禅染めは、江戸時代の貞享年間(1684〜1687年)、京都の絵師、宮崎友禅斎が創始したといわれています。「好色一代男」に「扇も十二本祐善(友禅のこと)が浮世絵」とあるように扇面絵師としても知られていました。江戸中期、「くだりもの」と呼ばれる関西方面からの産物が数多く江戸に集まり、大名のお抱え絵師や染師が多く移り住むようになり、いろいろな織物や染物〜友禅染めなども作られるようになりました。地味な中にも、明るい色調と斬新なデザインが特徴です。
●桐たんす
日本を代表する収納家具の発生は意外に新しく、江戸時代初期(1600年代後半)、大坂で作られたのが最初であるといわれています。18世紀に入り、一般に普及。当時は神田や浅草で製作されていたそうです。耐湿性、さらに、火災のとき水が入ると吸収が早く、内側に炎が入るのを防ぐという耐火性に優れた性質を生かすと同時に、独自の気品と優雅さを持ち、伝統技術を駆使した調度品として、現代に伝わっています。
●指物
イラスト:指物指物とは、ほぞによって板と板、棒と棒を組み合わせて作る木製品。原材料は、桑、欅、桐など。接合には金釘を使わず、隠れた所ほど技巧を凝らしているのが特徴です。指物の歴史は京都が長く、平安時代までさかのぼることができます。当時は大工職人の仕事でしたが、室町時代になると、ひとつの職業として確立。棚類、箪笥類、机類の調度品、茶道具などの需要が増えたからだといわれています。江戸時代、徳川幕府は多くの職人を全国から呼び寄せて、手工業を発達させました。江戸指物は武家、商人、梨園役者用に多用され、今日に至っています。
●つまみかんざし
イラスト:つまみかんざしつまみ簪は、江戸時代初期に、京都で作られていた「花びら簪」の一つの技法が、江戸に伝わって発達したもの、大奥の女中たちの間で行われていた手芸のひとつ、「つまみ細工」が起源ではないかといわれています。小さな羽二重の布を正方形に小さく切り、これを摘まんで折りたたみ、糊をつけ、これを組合わせて花や鳥の文様を作っていきます。丸くふっくらと折るのは「丸つまみ」、先を尖らせて折るのを「角つまみ」といい、名前の由来はここにあるそうです。江戸が主要な産地だったので、参勤交代の折など、みやげものとしても喜ばれたといわれています。
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