荒川ゆうネットアーカイブ
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荒川ゆうネットは、平成16年から22年までに開設されていたサイトです。
内容は、掲載当時のものとなります。
ページタイトル:歴史探訪 荒川区の伝統技術
このページでは、荒川区に残る伝統技術や、職人さんを紹介しています。
情報提供協力:荒川区教育委員会
荒川区教育委員会発行「あらかわ職人マップ」より
日本の手工業と荒川区の匠
メニュー:日本の手工業の流れ
メニュー:荒川区に残る伝統技術
「日本の手工業の流れ」
 聖武天皇の遺品をはじめ、仏具から、楽器、遊具、家財道具類、服飾品に至るまで、正倉院の数多い工芸品を見てもわかるように、日本には、古代からさまざまな工芸技術が生まれ、受け継がれてきました。さらに平安時代になると、公家文化が栄えますが、当時の人びとは信心深く、有力貴族は寺院や仏像を作り、極楽往生を願うようになります。この際、金工、木工、漆工の技術が進歩したことは言うまでもありません。また市井の人々のための生活用具を生産する工人も見られるようになりました。

 鎌倉幕府が開かれ、武士の時代が始まると、鍛冶、焼物、鋳物、木工といった分野の技術者たちが地位を高め、作った製品を、市などで売るようになります。このような状況から、手工業が各地に広まっていきました。
安土・桃山時代になると、大名や豪商の経済力を背景に、海外文化の影響を受けながら、生活用具にとどまらず、さまざまな工芸品が作られるようになります。また一方では、茶の湯が盛んになり、「侘び」「寂び」の世界を映し出すような茶道具がもてはやされます。

 戦国の世が終わり、徳川幕府が開かれた江戸時代は、鎖国の影響で、人びとは自給自足を余儀なくされます。しかし、その結果、各地の手工業は工夫、改良され、さらに発展していったのです。また、地方では自藩の経済基盤を確立するため、同業者の保護、育成を図りました。その中から、特色のある手工業、特産品が生まれています。
やがて江戸は、文化の中心となり、町人にも普及していきました。人々の生活も多様化し、従来からある手工業も含め、あらゆる需要に応える職人が増えていきます。

 荒川区内には、このように発展した日本の伝統工芸技術を受け継ぐ職人さんが数多くいます。修業で得た技術に、創意工夫を加えた製品の数々には、長い歴史と先人たちの技が刻まれています。これらの技法は、親の背中を見て育った二代目、三代目の若手職人さんが、未来へと継承していくのです。

 荒川区では、これらの技術を広く知っていただくために、昭和55年から、「あらかわの伝統技術展」を開催。作品展示、技術保持者の実演などを行っています。また、昭和60年からは、記録映画も制作。技術の保存と紹介に役立っています。
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