ここから本文です。
公春院(正式名称は「満海山公春院千日寺」)は、慶長19年(1614)10月に晏清満海大行者により修験者の僧坊(修験者が寝泊まりする宿)として建立され、延宝年間に浄土宗に改宗されました。「千日寺」という寺号は開山満海大行者が比叡山での千日回峰行を満行したことに由来すると伝えられています。
公春院の巨松は、江戸時代の地誌『遊歴雑記』に「東武三十六名松」の一つ「証拠の松」として記されています。江戸時代、新しく寺院を建てることは禁止されていました。文政7年に幕府の役人が公春院の開創年代を調べにきた際に、松の雄大な様子が根拠となって新しい寺院ではないことが証明されたため、以来「証拠の松」とよばれるようになったといわれています。昭和9年6月に枯死のため伐採され、今はありません。
南千住エリア
南千住1-32-9
03-3801-2942
更新日:2024年2月29日