あらかわ遊園から小台橋小学校に続く約250mの道沿いには、なにやら歴史を感じさせる赤い煉瓦塀が残っています。この煉瓦塀はどのようにできたのでしょうか?
明治時代の初期、日本は富国強兵、殖産興業という政府のスローガンの下に、急激に工業化が進められました。当時、この地域は煉瓦に適した土がとれ、交通の便が良かったこともあり、4つの煉瓦工場が建ち並びました。
明治5(1872)年、石神仲衛門によって、現在あらかわ遊園がある場所に煉瓦工場が造られました。この工場は、明治28(1895)年に広岡勘兵衛に経営が譲渡され、広岡煉瓦工場になりました。現在の煉瓦塀が残っている場所は、広岡煉瓦工場の煉瓦を干す場所でした(『のびゆく小台橋〜開校二十周年記念誌』より)。
その後、大正11(1922)年に広岡勘兵衛は煉瓦工場を閉鎖し、あらかわ遊園を開園しました。その時に、工場にあった煉瓦であらかわ遊園を囲う塀をつくりました。当時としては西洋風のモダンなものだったのではないでしょうか。これが現在も残っている煉瓦塀です。
と言うことは、この煉瓦塀は関東大震災、第2次世界大戦、戦後の混乱期、高度経済成長期など、激しく移り変わる日本の姿を見続けてきたことになります。ゆっくりと散策しながら、歴史の流れを感じてみてはいかがでしょう。
|