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7. 回向院(小塚原回向院) |
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もともとこの一帯は江戸幕府初期のお仕置き場として知られ、小塚原と呼ばれていました。万治年間、幕府は町奉行所を通して本所回向院に牢死者や形死者を弔うことを命じ、さらに寛文七(1667)年に、当時の住職・第誉義観上人が幕府に願い出て、その別院として小塚原刑場に建てたのが、この小塚原回向院です。
小塚原回向院は建立以来、町奉行や寄場役所から回向料を受けて、刑死者や牢死者の回向、また、安政2(1855)年には安政の大地震の犠牲者などの回向に務めてきました。磔地場として開創されてから220余年の間に、20余万人もの人々が埋葬されたと言われ、その大部分は重罪者だったと言われます。江戸時代の大泥棒、鼠小僧次郎吉や徳川末期の詐欺・ゆすりの常習者として知られた片岡直次郎、明治初期に毒婦と言われた高橋お伝などの墓もその代表と言えます。
さらには松下村塾を主宰し、多くの人材を育てた吉田松陰も葬られ、遺体は文久3(1863)年に太夫山(世田谷区若林の松陰神社)に改葬されましたが、現在はその記念墓が残っています。
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解体新書
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一方明治8(1771)年には、蘭学者でもあった杉田玄白や中川淳庵、前野良沢などが小塚原で腑分けに参加し、後に「解体新書」の翻訳のきっかけとなったことでも有名です。本堂の入口右手に展示されている「観臓記念碑」は、この小塚原での腑分けを記念して、大正11(1922)年に建立されたものです。
昭和47年からはじまった道路拡幅工事により、昭和49(1974)年に再建された本堂は、モダンな鉄筋コンクリート造りの建物になっています。
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