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永承5年(1050)、奥州攻めに向かっていた源義家が荒川(現隅田川)の渡河を祈願し、熊野の御幣を祀ったのが始まりと伝えられています。千住大橋を荒川に架ける時、関東郡代伊奈備前守忠次は当社に成就を祈願し、文禄3年(1594)橋の完成にあたり、その御用材で社殿の修理を行いました。以後、千住大橋の守護神として祀られ、橋の架け替えごとの祈願と社殿修理が慣例となったといわれています。
※通常は、防犯のため門扉を施錠し、境内に入ることはできません。
南千住エリア
南千住6-70
20分
更新日:2024年4月11日