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荒川ゆうネットは、平成16年から22年までに開設されていたサイトです。
内容は、掲載当時のものとなります。
このページでは、荒川区の史跡・文化財の残る名所を紹介しています。
地図を見るには、地図ボタンをクリックしてください。
見学する場合には次の点に注意してください。
●寺社の境内や個人の邸宅では、まわりの人に迷惑がかからないように静かに鑑賞しましょう。
●一般公開をしていない文化財もあるのでご注意ください。
(事前に所有者または管理者に連絡をとり指示に従ってください。)
●写真撮影や拓本採取をする場合は、文化財の所有者の許可を得てください。
荒川・町屋
日暮里
南千住
坂・渡し
私立井上小学校跡(満光寺)
東尾久3-2
下尾久村で最初の小学校。明治15年(1882)の創立。
上野二葉家と満光寺
東尾久3-2
6基の板碑(いたひ)・2基の庚申塔(こうしんとう)・紙本着色山越阿弥陀図(しほんちゃくしょくやまごえあみだず)などがある。
百万遍念仏講用具(阿遮院)
東尾久3-6
百万遍念仏講(ひゃくまんべんねんぶつこう)に使用する鉦(かね)と大きな数珠(じゅず)を持つ。
航空界初期の事故
東尾久5-6
大正6年(1917)、杉野中尉が飛行中に尾久村に墜落。追悼碑がある。
下尾久石尊
東尾久6-31
出世石尊(せきそん)ともいう。石神に対する信仰がうかがえる。
上尾久の馬捨場跡(馬頭観音)
東尾久7-4
馬を描いた絵馬の奉納や、イヌソトバを供える風習があった。
熊野神社跡
東尾久8-14
明治11年(1878)に八幡神社に合祀される。「熊野前」の地名だけが残る。
玄琳牡丹屋敷
東尾久8-26
医師佐治玄琳の屋敷は牡丹の見事さから牡丹屋敷といわれた。
光明遍照偈板碑(華蔵院)
東尾久8-46
阿弥陀の種子を光明遍照偈(こうみょうへんしょうげ)が取り囲む形態の板碑(いたび)がある。
山谷の神明社(天祖神社)
西尾久1-21
字(あざ)山谷と呼ばれたこの地の地名を冠して山谷の神明社といわれた。
地蔵山の庚申塔群
西尾久2-25
万治元年(1658)銘をはじめとする5基の庚申塔(こうしんとう)がある。
寺の湯跡(碩運寺)
西尾久2-25
尾久温泉発祥の地であり、尾久の発展のきっかけとなった。
八幡神社と八幡堀
西尾久3-7
創建不詳。正和元年(1312)に遡(さかのぼ)ると伝わる。八幡堀は八幡神社を囲み荒川に注いでいた。
八幡神社と上尾久村村絵図
西尾久3-7
江戸時代の上尾久村の様子を記した村絵図が八幡神社にある。
正和五年銘板碑(大林院)
西尾久3-9
八幡神社別当(べっとう)の願勝寺(がんしょうじ)から継承した板碑(いたび)・石仏などを所蔵する。
夜念仏供養板碑
西尾久3-10
地蔵山墓地から出土した阿弥陀三尊来迎図が施された結衆板碑。
外記屋敷と経塚
西尾久3-13
石橋をひとりで担いだといわれる怪力の鈴木外記(げき)の屋敷があった。
水神祠
西尾久3-14
舟運の安全や水難除けを祈願して建てられた。
条里の遺跡の碑
西尾久5-3
この付近に残っていたという条里遺跡の保存を願って建てられた。
煉瓦工場と荒川遊園
西尾久6-36
尾久の煉瓦工場の跡地に荒川遊園ができた。
*文化財についてさらに詳しくお知りになりたい方は、各報告書をご参照下さい。(区内図書館や区役所2階の情報提供コーナーでご覧になれます。区役所3階の教育委員会社会教育課、及び荒川ふるさと文化館では有償頒布もしています。)
荒川・町屋
日暮里
南千住
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問い合わせ先 荒川区管理部情報システム課
電話:03-3802-3111(内線 2151)
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