荒川ゆうネットアーカイブ
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荒川ゆうネットは、平成16年から22年までに開設されていたサイトです。
内容は、掲載当時のものとなります。
ページタイトル:歴史探訪 荒川区の昔話
このページでは、荒川区各地に残る昔話を紹介しています。
情報提供協力:荒川ふるさと文化館
荒川ふるさと文化館常設展示「あらかわ史跡・文化財データけんさく」より
第三話 袈裟塚の耳無不動 荒川区の昔話
江戸時代中ごろ、筑後の国柳川藩に光三郎という若侍がいました。光三郎には今小町と呼ばれていた、お絹という結婚の約束をしていた美しい娘がいましたが、ある夜、悪人によって連れ去られてしまいます。光三郎はお絹を探すために江戸へと旅立ちます。 イラスト:光三郎とお絹
数年の月日が流れ、お絹を見つけることを諦めた光三郎は、出家して上野寛永寺の僧侶となり光慧と名乗りました。 イラスト:出家して光慧と名乗った光三郎
ある日、上野の花見帰りの吉原の遊女たちの中に、お絹を見つけるのです。 イラスト:吉原でお絹を見つけた光慧
お絹への思いが一気に蘇った光慧は、僧侶の身でありながら、寺の金を懐に吉原へと通い詰めます。しかし、悪いことは長く続きません。金を盗んでいたことが知られ、光慧は寺を追い出されてしまうのです。 イラスト:お絹のもとへ通い詰める光慧
光慧は三河島村の植木屋久兵衛に救われ、真言宗仙光院の住職として招かれますが、長年の悪事の結果か、仏罰として腰が抜け、果ては耳まで落ちてしまう悪病に苦しみます。
 ある夜、夢枕に仙光院の本尊のお不動様が立ち、「村人たちの救済に努めよ。そうすれば救われる」と光慧に告げます。光慧は門前に自分の袈裟を埋め、袈裟塚と称し、五穀豊穣、往来安全を祈願しました。また、その上に石の不動を建立しますが、ついに病は治らず、宝暦7年、この世を去ってしまいます。その後、門前で一人の尼僧が自ら命を絶ちました。人々はこの尼をかつてのお絹だと言いました。
イラスト:悪病に苦しみながらも、人々のために祈る光慧
後に石の不動は仙光院の入り口から、荒川3丁目の現在地に移転しました。これが今も残る袈裟塚の耳無不動です。なお、このお不動様は耳の病にご利益があり、穴を開けたお椀を奉納することで有名です。 写真:荒川3丁目に今も残る袈裟塚の耳無不動
第三話 袈裟塚の耳無不動 終わり
問い合わせ先 荒川区管理部情報システム課
電話:03-3802-3111(内線 2151)

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