荒川ゆうネットアーカイブ
 荒川ゆうネットアーカイブは
 荒川区の地域ポータルサイト「荒川ゆうネット」の
 過去ログです。
トップページ > 特集 > 荒川区の著名人「川柳作家 尾藤三柳」
荒川ゆうネットは、平成16年から22年までに開設されていたサイトです。
内容は、掲載当時のものとなります。
荒川区の著名人
下町を思えばいつも灯がともり
川柳作家 尾藤三柳 インタビュー風景 インタビュー風景 インタビュー風景  
映像を観る
「映像を観る」のご利用方法について
WindowsMediaPlayerをお使いの方
56k 56k(ナローバンド)版を観る
ブロードバンド ブロードバンド版を観る
RealPlayerをお使いの方
56k 56k(ナローバンド)版を観る
ブロードバンド ブロードバンド版を観る


尾藤 三柳(びとう さんりゅう)さんプロフィール


【経歴】
昭和4(1929)年、荒川区三河島生まれ。川柳家の父(尾藤三笠)の影響で幼少時より川柳に親しむ。昭和16年12歳で荒川区内の句会で初入選し、三柳と号す。昭和19年、山梨県の川柳大会で最年少の初優勝。その後、川柳六大家の一人、前田雀郎氏に師事し、本格的に川柳を学ぶ。学習院大学国文科を卒業後、東京タイムズ編集局勤務を経て、昭和48年から文筆業に専念。川柳研究とともに、昭和50年「川柳公論」を創刊、主宰し川柳の普及と新人育成に尽力。新聞の時事川柳やサラリーマン川柳の選者としても著名で、年間35万句以上の作品に目を通している。

インタヴューア 江坂裕子

質問:子供の頃の地域の思い出などをお聞かせ下さい。
インタビュー風景
三河島駅前の旅館・龍明館
 生家は三河島駅前で旅館業と茶葉商を営んでいました。当時、駅周辺は商家が建て込み賑やかな場所でした。茶葉商の方は私が生まれて間もなく閉め、龍明館という旅館で育ちました。庭のすぐ後ろ側に、塀をへだてて真土小学校(現・ひぐらし小学校)の運動場があり、その真土小学校に第一期生として入学しました。塀を乗り越えればすぐですが、律儀にも表の正門から通っていました。同級生は場所柄、商家の子供が多かったようです。その後の第2次世界大戦の空襲でも、旅館は焼け残りましたが、昭和27年に父が病で倒れたのを機に45年間続いた旅館を閉め、家族とともに荒川から北区に移転しました。

荒川放水路の天然プール
 小さい頃から身長が高く、いつもクラスで一番ののっぽで、野球や水泳などスポーツが好きでした。当時、野球は六大学が子供たちの憧れの的で、私は明治大学の藤本投手のファンでしたから、Mマークの帽子を得意になって被っていました。また水泳は、夏になると荒川の放水路の両岸に囲いが張られ天然のプールが2つ作られたので、近所の子供たちと毎日のように出かけて、真っ黒に日焼けしていました。

素盞雄神社の盛大な祭り
 中学校に入学する頃から、徐々に戦時下に入りましたので、楽しかった記憶の多くは小学生時代のことです。三河島駅の踏切に高架橋を建設する大工事は、毎日飽きもせずに眺めに通った記憶があります。素盞雄神社の大祭は、大神輿が町内を練り歩き、たくさんの露店が出て、それは賑やかで盛大でした。近所のお稲荷さんからも子供神輿が出たので、お神輿を担いだのも楽しい思い出です。

質問:川柳との出会い、川柳の道に進まれたいきさつを簡単にお聞かせください。
インタビュー風景
川柳雑誌に埋もれて育った子供時代
 父が川柳家でしたので、家には川柳の雑誌、書物が山のようにありました。幼い頃から絵本や童話の代わりに川柳雑誌を読んでいました。家には始終川柳家が集まり、彼らの談笑の中で育ちましたから、耳学問で雑学だけはあるずいぶんませた子供だったようです。小学校の高学年頃から自然に川柳を作るようになり「ひきだしの豆債券が当たってる」という句で、荒川区の句会に12才で初入選してからは、すっかりやみつきになりました。昭和19年16歳の時に、山梨県の川柳大会で最年少で優勝しました。一緒に行った父は11位でしたので、仲間の川柳家たちに「天狗にならないように」などと、いろいろ言われたようです。父の心中は、面目ないような、鼻が高いような複雑な気分だったと思います。

作家から川柳研究に
 戦後昭和22年に川柳人クラブ(現川柳人協会)を設立した父とともに、親子で川柳の活動を展開していました。学習院旧制高等科に進学した年に、もっと本格的に川柳を学びたいと思い、川柳六大家のひとりと言われた前田雀郎氏に師事しました。師に教えられたことは「川柳を作るだけではなく、川柳の歴史をしっかり勉強し、本を読みなさい」ということでした。これが、川柳を体系的に研究するきっかけとなり現在に至っています。大学卒業後、新聞社の編集局に20年ほど勤務していましたが、川柳関係の仕事が増え、昭和48(1973)年に退社し文筆業に専念するようになりました。

質問:川柳の特徴と面白さ、またその魅力や作るポイントなどを教えてください。
インタビュー風景
川柳は世界一短い定型詩
 同じ五七五の十七音節からなる俳句と川柳の違いは、俳句が叙情詩とすると川柳は叙事詩と考えてよいでしょう。俳句に比べ季語や切れ字にこだわらず、表現は主に口語体であることなど、江戸期庶民の間から起こった非常に自由な文芸と言えます。いささか文学的評価が下に見られがちですが、社会や時勢を端的に捕らえ、人々に共感を与えるものとして、たいへん奥の深い面白い文学です。

川柳作句のポイント
 紙と鉛筆があれば誰にでも作句は出来ます。基本は自分の思ったことを素直に表現することですが、物事を平凡に見ないことがポイントです。同じ物を見ていても、ちょっと角度を変えると違ったものが見えてきます。人の気が付かないことに気づく、目のつけ方が必要でしょう。ユニークな題材が浮かばずスランプだという方もいますが、例えばただ手をじっと見ているだけでも、5本の指はそれぞれに違った性格をもっていて、1本ずつの指が語りかけてくるものです。上っ面を見るのではなく、凝視(じっと見る)という言葉の如く、物の本質にせまり“心で物を見る”ことで川柳作句の力が養われると思います。ぜひみなさんも挑戦してみてください。

質問:これまでの活動と、今後の展望などお話いただけますか。
インタビュー風景
川柳研究の著作活動
 これまでに川柳の歴史的研究や川柳に関する知識をまとめたものとして、「川柳総合事典」、「川柳二〇〇年の実像」(ともに雄山閣刊)などを出版しています。古い川柳雑誌や新聞などの資料を集めることはなかなか大変です。最近はインターネットなどで古書が購入できるようになり、だいぶ便利になりましたが、古書店をまわったり、高齢の川柳家がお持ちの資料が散逸しないよう、いろいろと手を尽くしています。興味のない人にとってはゴミ屑でも、中には貴重なものもあり、現在までに収集した資料だけでも書庫は満杯で、いずれ川柳関連の図書・資料を一箇所にまとめた「川柳資料館」を造りたいと思っています。

選者として年間選句35万
 「よみうり時事川柳」や「サラリーマン川柳」など、レギュラーの選者としての仕事が30本ほどあり、年間に約35万句の川柳に目を通しています。その時々で、風俗や世相をよく映していて、川柳投稿家の水準はずいぶん上がってきていると思います。欲をいえば柳号(雅号)のつけ方にひと工夫ほしいところですね。「サラリーマン川柳」(サラ川)は、第一生命が昭和62(1987)年に第一回コンクールを開催して以来続けられています。多いときには年間約8万通の応募があり、一般の投稿家や、川柳愛好家の層を広げ、川柳に親しむチャンスを提供してきました。定期的に句会に参加する川柳家は全国で5万人ほどですが、投稿家、愛好家を含めると川柳人口は約30万人で、また女性の社会進出を反映してか、御婦人の愛好者も増えています。今後さらに若い人たちが親しみを持ってくれることを願っています。

指導者のための教科書づくり
 「川柳公論」の主宰のほかに、NHK文化センターなどの教室や川柳道場を都内で8箇所ほど開いていますが、なかなか指導者がいません。中学や高校の学校教育に川柳を取り入れているところも多少ありますが、ここでも指導者不足は否めません。以前に「川柳作句教室」(雄山閣刊)という本を出版しましたが、今度は指導者のための教科書(手引き書)を手がけ、川柳を作る人だけではなく、川柳を教える立場の人を増やしていきたいと考えています。我が家では幸い息子も川柳に興味を持っており、親子三代川柳家です。川柳に関してWeb版「川柳公論」というHPを開いていますので、興味のある方はぜひ一度アクセスしてください。
HPアドレス http://www.doctor-senryu.com/

文芸的価値の向上を
 川柳に携わって60余年、長いような短いような・・・。時事川柳などは世直しの役に立っていると思います。川柳の奥の深さを勉強してきた一人として、より多くの人にその素晴らしさを伝達すると同時に、川柳の文学的、文芸的価値の向上にこれからも尽力していきたいと思います。

質問:最後になりますが、荒川区の良さや魅力などをひと言お願いします。
インタビュー風景
おおらかで親しみのある街
 最近はたまに通りがかるだけなので「昔とずいぶん変わって、きれいになった」という印象です。育った頃の荒川区は、下町というとありきたりですが、ほこりっぽいけれども独特の匂い、雰囲気のある地域でした。子供時代の数々の思い出と重なって、懐かしい場所です。あてどなく歩きまわっても、すべてがおおらかで親しみが溢れる、楽しい大好きな街でした。


   
問い合わせ先 荒川区管理部情報システム課
電話:03-3802-3111(内線 2151)

前のページへ戻る
トップページへ戻る
ページの先頭へ戻る

トップページへ戻る