荒川ゆうネットアーカイブ
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トップページ > 特集 > 荒川区の著名人「元横綱、現日本相撲協会・年寄 武蔵丸光洋」
荒川ゆうネットは、平成16年から22年までに開設されていたサイトです。
内容は、掲載当時のものとなります。
荒川区の著名人
元横綱、現日本相撲協会・年寄 武蔵丸光洋
5千人の人で溢れた優勝パレードの思い出
元横綱、現日本相撲協会・年寄 武蔵丸光洋 インタビュー風景武蔵川部屋外観 優勝パレードの様子
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写真協力●東京中日スポーツ

武蔵丸 光洋(むさしまる こうよう)氏プロフィール

【経歴】
昭和46(1971)年、アメリカ領サモア島生まれ、本名フィアマル・ペニタニ。
平成元(1989)年、ハワイのワイアナエ高等学校卒業後来日、武蔵川部屋入門。同年9月場所初土俵で序の口優勝。平成3年十両昇進、11月初入幕。平成6年大関昇進、同年7月幕内全勝優勝(初)。平成8年日本に帰化し、平成11年には外国出身2人目の横綱に昇進。平成15年11月場所を最後に現役引退。年寄・武蔵丸として、後進の指導にあたっている。
【記録・受賞歴】
横綱在位27場所、通算成績779勝294敗115休、幕内706勝(歴代4位)、幕内優勝12回(歴代6位)、殊勲、敢闘賞各1回、技能賞2回、通算勝ち越し55場所(歴代1位)。
東京中日スポーツ制定大相撲最優秀新人賞(平成4年)、中日スポーツ賞、報知年間最優秀力士賞、日本プロスポーツ大賞殊勲賞(平成11年)ほか。
【趣味】

稽古の空き時間は、外出よりも部屋でゆっくり身体を休め、好きなレゲエを聴くのが楽しみ。また毎日かかさず筋力アップのトレーニング、ストレッチに汗を流す。

インタヴューア 江坂裕子

質問:相撲との出会いや、入門までのいきさつについてお聞かせ下さい。
インタビュー風景
身体の大きなスポーツ少年
アメリカ領サモアで生まれ、ハワイ州オアフ島へ6歳の時に移りそこで育ちました。小さい頃からどのスポーツも大好きで、高校時代にはアメリカンフットボール、バレーボール、バスケット、レスリングなど様々なスポーツを楽しんでいました。アメリカの高校は、シーズン毎にいろいろなスポーツにトライできます。中でもアメリカンフットボールとレスリングが得意でした。かねてよりプロとしてスポーツをやっていきたいという希望が強く、高校のレスリング部の監督に、「身体を生かして相撲をやってみないか」と勧められたのが、この世界に入るきっかけでした。相撲はテレビで見ただけでしたが、「力と技のスポーツ」ということに大変興味を魅かれ、それまでやったことのない新しいスポーツにチャレンジしてみたいと思い、入門を決めました。

賑やかで活気に溢れた日暮里周辺
高校卒業と同時に来日した当時は、武蔵川部屋は江東区にありました。半年後に現在の東日暮里に移転し、同時に私のこちらでの生活が始りました。育ったハワイと比べると、周囲には会社が多く、賑やかで活気に溢れた街という印象でした。部屋の中での生活がほとんどでしたが、部屋の前の通りを行きかう車やトラックの音がとても賑わしく感じられました。5年ぐらい前から、車やトラックの往来の数がずいぶん減り、経済不況の影響が現れているのか少し心配です。

質問:入門当時の思い出などをお聞かせ下さい。
インタビュー風景
言葉を覚えた大部屋暮らし
十両に昇進するまでの約1年間では、大部屋の皆との共同生活を送れたことが楽しい思い出です。日本語は全くわかりませんでしたが、皆の話している様子を見聞きしながら、少しずつしゃべれるようになりました。食事の支度中や、夜の就寝前に部屋で皆としゃべることで、実践的に覚えていきました。言葉は日常生活の中で覚えるのが一番早いと思います。日本語を学ぶために、本も1冊ぐらいは買いましたが、ほとんど使わずじまいでした。

スポーツの世界に「違い」はない
相撲部屋での一日は、大変に慌しく過ぎて行きます。早朝5時頃から午後0時過ぎまで稽古があり、昼食を摂り午後3時からは部屋の掃除、その後地下のジムでトレーニングをします。夕食、片付けが終わると午後9時近くで、その頃には就寝します。プロとしてやって行くというはっきりした目的をもって相撲の世界に入ったので、「遊びたい」とは思いませんでしたし、またその時間もありませんでした。アメリカでも先輩・後輩という上下関係はありましたし、スポーツをやる上での生活は、それほど大きな違いを感じませんでした。唯一困った言葉の壁を除けば、食事や生活習慣などでの問題は特にありませんでした。

近所の散歩や喫茶店で息抜き
唯一の楽しみは、稽古の合い間に、近所の喫茶店でアイスコーヒーを飲んだり、近くの日暮里南公園へ散歩に行ったりして、リラックスすることでした。ホームシックにかかったこともありますが、落ちこんだ時はよりいっそう稽古やトレーニングに打ち込み、好きな音楽(レゲエ)を聴きながら身体を休め、寝ていましたね。

質問:入門後2年で入幕、その後大関(平成6年)、第67代横綱(平成11年)へと角界のトップに上りつめた力士人生を支え続けていたものは何ですか?。
優勝パレードの様子
55場所連続勝ち越し(歴代1位)の記録を打ち建てた相撲スタイル
私の相撲は「押しずもう」というスタイルで、常に前に出ることをこころがけてきました。それが、比較的に怪我も少なく、10年間休場せず相撲を取れた要因だと思っています。後ろに下がって相撲を組むと、状況が見えないので、どうしても怪我をしやすくなります。私が大切だと思った事はともかく前に出ること。気持ちの上でも、前に向かう積極果敢な姿勢です。

厳しい稽古で培う自信
土俵の上の結果は、すべて稽古にかかっています。自信や闘志は、厳しい稽古を通して生まれます。日々の稽古によって、自分自分の身体をいかに鍛え、力の限界をより伸ばしていくかしかない世界です。どこか身体が痛いと「稽古を休みたい」と思うのが普通です。ただその痛みにも、自分にとって我慢できる範囲があり、その範囲内であれば、奮起し休まずにやった方がいいのです。これには強固な精神力が必要ですが、1日休むことは、1日分のマイナスに留まらず、倍増したマイナスになってしまうからです。一生は一度しかない、あとで悔いることのないようにと、いつも精一杯相撲を取ってきました。

励みになった家族と周囲の応援
ハワイの家族をはじめ、部屋の親方、女将さん、仲間たち、そして周囲の人たちの応援は、相撲をやってきて大きな支えでした。どんなに強くても、ひとりでは淋しいし、落ち込むときもあります。しかし、後ろに支えがあれば、より強くなれるし、頑張る気持ちを持ち続けていられます。母は、十両のときに一度土俵を見に来てくれました。父親とは、「横綱になったら見に来る」という約束をしていましたが、残念ながら横綱になる前に亡くなり、横綱としての土俵入りは見せられませんでした。

優勝パレードの感激
国技館での優勝の時は、武蔵川部屋の近くでも優勝パレードをしました。道路には溢れるほどの人が集まり、近所のビルの窓越しやベランダにも人の姿が見られる程でした。通りの車も前へ進めないほどで、大変たくさんの人がお祝いに駆けつけてくれたそうです。町内会でも「祝!優勝」の垂れ幕をかけて下さり、とても嬉しく、誇らしい気持ちになりました。あの感激は忘れられません。

質問:相撲を通して感じられた「日本の心」、日本人の良さとは、どのようなことでしょうか。
土俵入り
礼儀正しく、謙虚な気持ち
日本に来て相撲の世界に入った以上、「日本の心」を理解することが大切だと思いました。相撲の世界のことしか分かりませんが、私が感じた日本の心、日本人の良さは、礼儀正しく、一生懸命努力する姿勢、謙虚な気持ちなどではないかと思っています。私自身の性格に合っているというか、ほとんど違和感なく受け止められました。

恵まれたチャンス
ハワイにはアマチュアの相撲取りが多くいますが、プロになるのはなかなか大変なことです。力があっても、言葉の壁や精神的な障害で、うまくいかない場合が多いと言われています。もちろん私自身が気持ちを強く持って努力してきたことはありますが、チャンスに恵まれたと感謝しているのは、武蔵川親方と出会えたことです。目立つことや、もてはやされることよりも、ただただ相撲が好きで、稽古やトレーニングが好きですから、この世界に入れて本当に幸せだったと思っています。

質問:昨年(平成15年)11月に現役引退を表明されましたが、今後のご予定、目標などをお聞かせ下さい。
引退・断髪披露大相撲
引退・断髪披露大相撲
今年(平成16年)10月2日に両国国技館で「武蔵丸 引退・断髪披露大相撲」が予定されています。これが最後の土俵入りになります。断髪式などの他に、武蔵丸らしい数々のイベントを企画していますので、相撲ファンをはじめ、多くの方たちに見ていただきたいと思っています。(チケット等のお問い合わせ先は、TEL03-3626-6340 武蔵丸引退相撲事務局)

後進の指導
今後は、相撲界の発展のために、若い力士たちの指導に力を注ぎたいと思っています。後輩たちに一番言いたいことは「我慢と稽古」です。自身のやる気があれば、道を切り開くことは可能です。厳しい稽古に耐え精進すれば、今以上に必ず強くなれる。日本の「相撲」という立派な伝統を引き継いでいくためには、若い人達に頑張ってもらわないといけない。我慢することを覚え、稽古に邁進して欲しいです。

質問:地域の方たちとの交流などについてお聞かせください。
インタビュー風景
地元に溶け込んだ日常生活
武蔵川部屋は、東日暮里4丁目町会に入っていて、部屋のすぐ向かいには町内会館もあります。毎年5月のお祭りには、時間の空いている部屋の若い衆たちが顔を出して交流を楽しんでいます。彼らは、自転車で近所を走り回ったり、地元の人たちと気軽に話をすることもあります。私はなるべくひっそりと静かに・・・、公園や、近所の喫茶店に行くくらいです。また、優勝パレードの際に交通整理などでお世話になっている警察署へお礼に出かけたり、日本に帰化する前には、区役所へもたびたび行っていました。

質問:荒川区の中で、気に入っているオススメのお店などについて、お聞かせください。
インタビュー風景
韓国料理や焼肉店
日暮里界隈には韓国料理のお店、特に焼肉屋がとても多いですね。キムチは大好物ですし、肉も大好き。ほとんど部屋から歩いて行けるところなので、何軒か行きつけのお店もあります。韓国家庭料理の「南大門」、焼肉の「山田屋」や炭火焼「七厘」など。気の張らないお店の雰囲気がいいし、料理はどれもおいしく、オススメです。

質問:荒川区にかかわることで、とくに心に残る出来事や人との出会いはございますか。
インタビュー風景
公園でかわした何気ない会話
部屋のすぐ近くの日暮里南公園には、時折ぶらっと散歩に行きます。犬を連れて散歩に来ている地元の人たちが多く、皆さん気軽に声をかけてくれます。主に相撲の話が多いですが、そこで交わす何気ない会話が、ちょっとした心のゆとりや、やすらぎをもたらしてくれます。勇気づけられることも度々あり、一緒に喜んでくれたり、心配してくれたり、とても温かい気持ちが感じられました。

質問:14年間この地域に住まわれ感じた荒川区の良い点、また将来の荒川区に望むことなどを、ひと言お願いします。
インタビュー風景
安心して暮らせる町
この界隈はどこに行っても、とても治安が良く、安心して暮らせる住みやすい町だと思います。これからも安全な生活環境を維持していって欲しいと願っています。また、荒川区の人たちがみんな元気で、相撲ファンがたくさん増え、相撲をもっと楽しんでもらえると良いと思っています。現役を引退しても、私はこの武蔵川部屋に居ますし、日本の相撲の世界で頑張っていきます。
問い合わせ先 荒川区管理部情報システム課
電話:03-3802-3111(内線 2151)

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