荒川ゆうネットアーカイブ
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荒川ゆうネットは、平成16年から22年までに開設されていたサイトです。
内容は、掲載当時のものとなります。

祭りだ!わっしょい!「諏方例大祭」
INTERVIEW
老若男女が「この町はなかなかいいじゃないか」と
故郷を感じる時間であって欲しいですね。
祭礼総合本部副会長―大和田博さん
祭礼委員会 御輿係長―澤野修一さん
祭礼委員会 運行係―関口真一郎さん

山車人形

Q今年の御神幸祭(3年に一度)は、
神社の創建が元久2(1205)年ですから、
800年の記念ですね。

大和田:御神幸祭(3年に一度の大祭)の時は本社御輿が町中に下り、氏子が各町渡しで担いで巡行します。
 これだけでも氏子にとっては意味の大きいことですが、加えて創建800年記念行事として、山車人形2体が御諏方様に里帰りします。
 1体は早稲田大学演劇博物館蔵の関羽人形で、もう1体は埼玉県入間郡越生町からお借りする豊島左衛門尉経泰です。これに諏方神社に残る源為朝公が加わり、3体の公開となります。
 

Q何故、諏方神社の山車人形が
越生町にあるのでしょうか。

関口:明治の終わり頃までは、本祭りのたびに牛と子どもに山車を曳かせていたようですが、その後、電線等により山車の巡行が不可能となり様々な事情で手放したようです。

大和田:越生町は太田氏との結び付きが強い土地で、関東の名刹と言われる龍穏寺は道灌とその父道真によって再建されましたし、道真が隠棲したと伝わる建康寺や、太田道灌の山吹伝説にちなんだ歴史公園などがあります。
 御諏方様の造営は豊島左衛門尉経泰によるものですが、後に豊島氏は太田道灌との戦で敗退します。太田氏は十石を寄進し、太田氏が敗退した後は、徳川家に庇護されて3つの家に護られてきました。
 いわば越生町は、豊島氏にとっては宿敵の地、そこに豊島左衛門尉経泰の人形があるというのも因縁ですね。

 
祭りの様子

Q御神幸祭での
皆さまのお役目を教えていただけますか。

大和田:祭礼総合本部副会長を務めさせていただいています。
氏子は日暮里側9町会、谷中側16町会に別れますが、交代で会長・副会長を務める事になっています。
 お役目は、行列全般を把握し実行委員への指示・決定を行います。
 当日は、御諏方様の紋所がついた紋付き袴に傘を被り、行列の先頭を歩きます。

関口:氏子でつくる崇敬会からの推薦という名誉職とはいえ、ご高齢で暑い中、紋付き袴は大変な事ですよね。

大和田:町総代(町の代表)と宮総代(神社からの任命)の中でも、私の父は町総代でしたから幼い頃から祭りは見てきましたが、いざ当事者になるとこの時期は痩せますね。重職ですが今年も滞りなく務めたいと思っています。

澤野:町内の祭礼委員会の御輿係長という立場です。お役目は、御輿に精通している十数名の実働部隊と共に、担ぎ手の誘導・警備・もめ事がおきたときの仲裁などにあたる責任者です。

大和田:大祭の時はもちろん、陰祭りの時も9町会の先頭にたって頑張ってくれています。彼の仕事は大変なんですよ。

澤野:祭りが近づくと、様々な面で仕事や打ち合わせの回数も増えてきますので、本業とのやりくりに苦労します。
町へのご奉仕は、ボランティアといえども責任を持ってやらなくてはいけないと考えていますので、この時期は正直なところ、本業の方は手につきません。
 苦労の多いお役目ですが、喜んでくださる方の顔が直接見られる事、終了後に「大変だったなぁ」と仲間と言い合える喜びがありますね。

関口:私は運行係という立場です。お役目は、総長80M位になる行列全体の運行を指揮し、事故のないように最後まで運営をします。
 具体的には、休憩やトイレの場所の指示、行列や御稚児さんの運行管理、警察との連携などです。特に、御輿は各町渡しの到着時間、出発時間が決まっていますので、その時間の管理に気を使いますね。

澤野:関口さんのお役目は、私の御輿係長を何年も経験した上で務めることの出来るもっと上のお役目なんです。

関口:祭りの時期は3キロ痩せますが、こうして務めさせていただけるという事は大変な幸せです。祭りの時は老いも若きも目をキラキラさせ、終わった時の達成感や皆と呑む一杯の酒は最大の喜びです。

 
祭りの様子

Q部外者でも参加出来るのでしょうか。
また、御輿を担ぐ時のルールはありますか。

澤野:基本的に氏子の紹介で指定の半纏と装束ならば、どなたでも参加していただけます。氏子でないから担がせないということはありませんが、町会のしきたりを守っていただくのが原則です。

大和田:区役所の紹介でフランスからの留学生が担ぎにきたこともあれば、ボクシングのフライ級チャンピオン、レパート玉熊も担ぎたいと言ってきましたね。

関口:確かに担ぎ手になる若い氏子は町を出て減っていますが、祭りの時は戻ってきますね。祭りが賑やかに行われるのを若者達が目にして「それじゃぁ俺も肩入れてみるかな」という方が一人でも増えればと願っています。
 また隣接の元三島神社様 牛島神社様との交流で、隣接の氏子が担ぎにくることもあれば反対にこちらが応援に行ったりもするんですよ。

大和田:江戸時代は地方から集まってきた気性も習慣も違うバラバラな人達を祭りを機に束ねようとしたそうです。これは今も通じる話ですね。

 
祭りの様子

Q地域における祭りの効果とは
どのようなものでしょうか?

関口:町おこしなんて大それた話しではないですが、若者達と長老を繋ぐ絆を作るのに祭りは良いチャンスです。同じ氏子であるという連帯感で、祭りを盛り上げて行かれます。
 老若男女が「この町はなかなかいいじゃないか」と故郷を感じる祭りであって欲しいですね。

大和田:日本人はボランティア活動が足らないと言われますが、町会活動こそ最も身近なボランティア活動です。ぜひ町会活動に参加していただきたいですね。
 また中央町会では、祭り、納涼盆踊り、お囃子の太鼓の叩き手を町内で育てようと鞆絵太鼓会を作り若者を育成しています。当日は、彼らの活躍も見られますので是非、御神幸祭にお越しください。


平成17年9月掲載記事
問い合わせ先 荒川区管理部情報システム課
電話:03-3802-3111(内線 2151)

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