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内容は、掲載当時のものとなります。
「日本で唯一、三助さんがいる銭湯」「日本最期の“三助”」とマスコミで引っ張りだこですが「三助」は「風呂屋の番頭」のことで、以前はどこの銭湯にもいました。
番頭が「ながし」で稼いだ分については、給料日とは別に休日前に現金で支払うというのが昔からの決まりごとです。これは奥さんが把握出来ない金ということで丸々番頭の「小遣い」になる(笑)。頑張った分が稼ぎになるから仕事に対するモチベーションもあがるしね。休み前に自由に遊べる金を渡す所が風呂屋の主人の粋な計らいです。
もとは祖父母が昭和4、5年頃に三河島で「谷中湯」を始めたのが最初でした。父が家業を継いでからは、開業した銭湯が軌道に乗ったら番頭に任せるという方式で中野や蒲田の方まで多角経営していました。うちは番頭の橘もそうですが、富山県や石川県から番頭や女中が次々と上京して来ましたね。
今の建物は区画整理に伴って昭和35年に建て替えた木造建築ですが、富士山のペンキ絵が当たり前だった時代に、幾何学模様でアールデコ風のモザイクタイルが斬新でした。
銭湯の良い所は「コミュニケーション」。「○○の子どもが結婚した」「○○に店がひらいた」などお客さん同士が楽しく会話しています。他愛のない会話の中に安心感や安堵感があるでしょ。何よりも湯に浸かることで血行が良くなり1日の疲れが抜ける感じですよね。
八百屋、肉屋、魚屋、呉服屋、下駄屋、乾物屋というように町には人が生活するための商店があり、その中のひとつに銭湯もある。大きなスーパーが出来て仲間が店を畳んでいくのは実に寂しいものです。内風呂が当たり前の時代に銭湯経営は決して楽ではありませんが、通ってくださるお客さんがいる限り、私は1日でも永く続けていきたいと思います。また番頭の橘は先々代からいて家族同然ですからね、今まで持ちつ持たれつでやってきたのに私の意志や都合で営業を止めるなんて出来ないですよ。
妻は栃木県茂木の農家の出身で私たちは「たんぼでデートして肥(恋)に落ちた」んです(笑)。茂木は柚子が有名で、正月の朝湯に茂木産の柚子湯をはじめました。
K.Oさん「ながし」体験レポート
なかなか流すことが難しい背中の中心をゴシ・ゴシ・・・とちょっと背中が軽くなりました。 ながしだけだと思っていたら、首筋〜肩〜指先をほぐしてくれて、目をつぶってウト・ウト気分になっていたら、いきなり『パパン・パンパン』と爽快なリズムで我に返りました。 身体も心も癒され、ほんとに気持ち良かったです。 |
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