『「北島康介」プロジェクト』は100分の1秒のタイムを縮めるために、自らの技術を北島康介選手に注力した男達の軌跡です。 北島選手を支えた5人の立て役者は、平井伯昌(コーチ)、河合正治(映像分析担当)、岩原文彦(戦略分析担当)、田村尚之(肉体改造担当)、小沢邦彦(コンディショニング担当)。 北島選手が「みんなが課題とするハードルは高い。ハンパじゃなく高い。」というように、北島選手の身体能力を極限まで延ばす事を共通命題とした「チーム北島」の試行錯誤の日々が、著者であるノンフィクション作家、長田氏の丁寧な取材によって明らかにされています。 本書は2004年5月の発行のため、同夏のアテネオリンピックの100M、200M個人2冠達成ついては触れられていませんが、その後の活躍から北京オリンピックへの伏線につては、スポーツライター、折山氏の『「北島康介 夢、はじまる』がお薦めです。 アテネオリンピック後の北島選手は怪我や不調に何度となく苦しめられました。2006年のパンパシフック選手権200M決勝では、ライバルのハンセン選手に2秒以上引き離されての完敗。その屈辱を闘志に変えライバルに迫る北島選手の気概は読み応えあります。 「やっぱりどんな大会でもハンセンがいないとだめですね。彼と競り合う感覚を味わうためにここへ来たのに。(中略)もちろん、今の時点ではハンセンの方が一枚も二枚も上ですよ。でもだからこそ、『死に物狂いで頑張ってやる』『負けてもいいからもう一回チャレンジしてやる』っていう気持ちになったんです」 その後の偉業は、私たちが今年の夏に北京オリンピックで目撃した通りです。 最初に紹介した2冊は北島選手をテーマに書かれたものですが、『北島康介の水が怖くなくなる魔法の本』は北島選手が著者となって子ども達に泳ぐ楽しさを伝えています。まず水に顔をつける所からスタートする泳ぎ方は、楽しいイラストと語りかける説明で、水への恐怖を取り除いてくれるでしょう。 「ぼくはすいえいのせんしゅだから、しあいがある。しあいのまえはドキドキしてごはんをたべられないことだってあるんだよ。しんぱいでしんぱいでねむれないことだってあるんだよ。」北島選手の包み隠さない言葉が魅力的な一冊です。
旧三河島生まれの白井義男氏はボクシングの元世界フライ級チャンピオンです。今でこそボクシング界での日本人選手の活躍は珍しくありませんが、日本人として初めて「世界一」のタイトルを手にしたのは彼です。 『ザ・チャンピオン』はいじめられっ子だった筆者がボクサーとなり、生涯の師となるアルビン・R・カーン博士との出会いから世界を目指す一代記です。 学術研究のためにGHQに招かれて日本に来ていたカーン博士は、ジムで練習をしていた白井氏に天性の才能を見いだし国際的ボクサーに育て上げるためマネージャーになります。「(中略)日本人は世界で最も優秀なプロボクサーになり得ると思う。それは日本人は体もよく、努力心もあり、さらにボクサーになくてはならぬ闘志のあることである」カーン博士との二人三脚からわずか一年五ヶ月、白井氏は、日本での二階級(フライ級及びバンダム級)制覇を成し遂げ、日本ボクシング界軽量級の頂点にたつまさにシンデレラボーイとなります。 国境を越えた師弟愛は、その後さまざまなタイトルマッチを手にし、ついに世界を射止めました。白井氏はカーン博士を「人生の師」と呼びます。本著は日本ボクシング界の歴史を学べるとともに、縁を大切にすることで人生を大きく豊かに実らせた二人の物語でもあります。 白井氏と荒川区の関わりは『荒川の人』に詳しく語られています。100人の荒川区に関係する著名人へのインタビューをまとめた本書は、見開きに一人という一話完結の構成で、どこからページをめくっても気軽に楽しく読めます。
かつての荒川区にプロ野球の球場があったというと、若い荒川区民は驚くかもしれません。 東京スタジアムは、大毎オリオンズ(後に「東京」そして「ロッテ」となる)の本拠地として、昭和37年に南千住の一角、現在の荒川総合スポーツセンターの位置に突如表れました。 最新鋭の設備と娯楽施設を備えたハイカラな球場は、47年にその歴史を閉じるまでの10年間、多くのファンを魅了しました。 荒川ふるさと文化館の平成12年企画展『消えた娯楽の殿堂〜君は東京球場を知っているか!?〜』図録は貴重な資料や図版が多く掲載され、また川本三郎氏(評論家)、前野重雄氏(スポーツ・アナリスト)などの寄稿も当時の雰囲気を良く伝えており読み応えがあります。 『あの頃こんな球場があった』『スタジアムの戦後史』はいずれも高度経済成長にわき返った往時の日本の世相を、巨大スタジアムの興亡の歴史とともに垣間見ることが出来ます。