
 |
1984年第16回大阪サイクルショー出品作
ブレーキ・ステアリング・ワイヤーなどフレーム内に完全内蔵されている |
なぜ好きじゃなかったかと言うと自転車業はまさに3Kなんです。暗い工場で周囲から苦情がくるほどのうるさい音を出して、夏は汗ダラダラで塩をなめなめやっている。
ところが、大学の商学部に在籍中に、ふだん無口な父親が手伝って欲しいと頼んできました。「好きじゃない」家業でしたが、初めて頭を下げてきた父親に対して「断れない」という理由だけで旅行代理店の内定をけって卒業後に入社しました。営業・渉外部門を手伝う事になったのですが、全くヤル気のない従業員でしたね(笑)。
職人気質の父親は、ブリヂストン、ミヤタ、ナショナルなどの一流メーカーに負けない自転車を作る気概で、純正部品のみで仕上げた自転車をマツダ号と名付けブランド化するなど、優れた品質の製品を作っていました。
しかしモノは良くても一般消費者には分かり難く、阪モノと呼ばれた大阪からの安い製品と一流メーカーの狭間で次第に売れなくなり、さらにオイルショックの追い打ちで、区内の同業者も次々廃業して部品もまともに手に入らないなか、経営は行き詰まっていきました。
私は25歳で結婚しましたが、給料がもらえないので生活が成り立たない「このままでは駄目になる!」という焦燥感のなか、糸口になったのはサイクルショーで偶然耳にした「オーダー自転車」です。

 |
フレームを構成する11本のパイプが、丁寧かつ素早く溶接されていく |
「オーダー自転車」とは乗る人の目的・体格にあわせてフレームから作られたパーソナルなスポーツ車です。ライバルの大手メーカーは既製品中心で手掛けていないし、ましてや阪モノは作ることさえ出来ない。
マツダ自転車工場の営業マンから「オーダー自転車」を手掛ける独立した職人になろうと決意し、当時フレーム作りの神様と呼ばれていた師匠の門を叩きました。30歳からの遅いスタートでしたが「人生において、やろうと思った時が一番早い」ですからね。毎日師匠の工場に通うつもりで挨拶にいくと「毎日来られるのは迷惑。日曜日なら来ても良い。」とあっけなく断られる始末。ならばと日曜日に出かけていくのですが、遊びのお供に連れまわされるばかりで工場にはなかなか居ません。
この人を師匠と決めた以上、この状況下でなんとかするしかないと思い、出来る限りの予習をしてどうしてもわからない事をお供の時に質問し、その答えを帰ってから実践して復習する。そんな禅問答のようなやり方で、生活費を土建業で稼ぎながら3カ月間ねばりました。
こちらが準備を整えてさえいれば何処にいても道場で、必死に学ぼうという姿勢があれば達成出来ることをこの時の経験から学びました。まさに「習うより慣れろ」ですね。

 |
レベルのロゴが入った色とりどりのフレーム |
荒川区で借りた生業資金を元手に道具を買いそろえ、マツダ自転車工場の一角に8畳ほどの仕事場を間借りし、新たな人生がスタートしました。父親は何も言いませんでしたが、母親は「お前を職人にするために大学に行かせたんじゃない。今すぐ辞めなさい!」「お前のやり方はお父さんと全然違うよ!」とか居なくなればいいと本気で思うほどうるさかったですね(笑)。
お金があれば材料のパイプを買うかお米を買うかという状況でしたから、材料をカットするのも失敗しないように慎重になりました。最初はサイクリング車から手掛け、次にロードレーサーを作り、徐々に競輪の競技用自転車の製作へと守備をひろげていきました。
なぜ競技用自転車が経験を積まないと手掛けられないかというと、競輪は自転車競技法に基づいた公営のギャンブルだからです。はじめてJKA登録の申請に行った時「競技の途中であなたが作ったフレームが折れたり、外れたりして選手がケガをしたら大変な事になるでしょう。あなたはその責任をとれますか?」と聞かれました。その時は何も答えられずに帰ってきました。
それからさらに技術と経験を積み、いざという時には全ての責任をとる覚悟をもって、昭和55年に商標「レベル」として正式にJKA登録を果たしました。

 |
バテットパイプのどこで切断し溶接するかで違いが現れる |
競輪は選手の実力もさることながら道具によって勝敗がわかれます。競輪で走る競技用自転車の使用部品はJKAの認定部品しか使えません。数ある認定部品のなかでも良い部品は絞られるので、実際に競輪選手が選択できるのはフレームぐらいです。だからこそフレームで選手の能力を100%引き出すことが我々の役目です。
フレームの製作過程において、選手は微妙な身体感覚を我々にはっきり伝えなくてはいけないし、我々はその言葉を正しく解釈して形にしなくてはならない。この言葉を共通にする作業が大切で、一台、二台と調整していって三台めにやっとベストに近づいていく。気の長い、時間のかかりすぎる工程のようですが、これがレベルのやり方であり信条です。
 |
注文主である一流選手の名前が書かれたフォーク |
それにはフレームを0.5ミリの誤差もなく体格・体型に合わす技術だけでは駄目です。競輪選手の三大能力の『1.スタートして時速60キロまで何秒かかるか。2.時速60キロ台を何秒維持できるか。3.最高速度は時速何キロか。』は目に見えない筋肉によるもので、だからこそ体格・体型に合わせるだけではなく筋肉にあわせたフレームを作る技術が求められるのです。
具体的には鉄の特性を良く知り、バテットパイプの微妙な肉厚を把握し、構成される11本の鉄のパイプをどこでカットし溶接していくかで、フレームの硬さやしなやかさのバランスを作ります。
競輪選手は「走る」職人で、我々は「作る」職人ですから、競技用自転車は求められる精度と強度において「オーダー自転車」の頂点といえるでしょう。

 |
北京パラリンピックでメダル候補の小川睦彦選手が乗る三輪車 |
障がい者自転車に関わるようになったのは15年前からです。(財)自転車産業振興協会からの要請で将来のパラリンピック出場を見越した、脳性麻痺障がい者のための三輪車をつくってほしいという要請がありました。当時は脳性麻痺障がいについて予備知識もないまま協会から送られた参考写真を頼りに製作しました。
シドニーオリンピックの際に協会から同モデルでの製作依頼を受けたのですが、脳性麻痺障がい者がそのモデルで本当に満足しているのかを確かめる必要性を感じ、東京都障害者総合スポーツセンターの自転車教室に出かけました。リサーチのつもりが2回目からは「松田先生」と呼ばれて仲間に引きずりこまれてしまった(笑)。一緒に活動し立場を共有しなければ、より踏み込んで何が良いか悪いか話を聞けないなと思っていましたが、それ以来、現在も通っています。
私は障がいがあっても皆平等だというつもりで付き合っていますから、生徒にもボランティアを受けるのではなくボランティアをしなさいと言ってます。彼らが出来るボランティアは家に引きこもっている同じ境遇の人をここに連れてくることです。自転車に乗る前と乗った後では何かが変わるかもしれないでしょ。それを体感してもらいたいと思いますね。

 |
「荒川区と自転車」について熱い思いを語る笑顔の松田さん |
十数年前まで自転車といえば「放置自転車の撤去」や「駅前自転車の整備」など厄介者の印象でしたが、徐々に改善されつつあります。
今、自転車といえばどんなイメージですか?「爽やか」「幸せ」「健康」「エコロジー」など素敵なキーワードが連想できるし、企業CMで自転車がモチーフになるのも穏やかなシーンです。
荒川区は歴史的な意義も含めて自転車との関わりが深い地域なので、他区にさきがけた「主役が自転車の街づくり」を是非実現したいですね。
現在施行されている「荒川区自転車免許証制度」はマナーと交通ルールを徹底させる上で大変良いシステムだと思います。
新たに提案したいのは「自転車優先道路」で、話題性はもちろんですが将来における安全な生活道路の確保という意味でも、土日だけでも実験運用する価値はあると思います。そのほか周辺地域とタイアップしてレンタルサイクリングを行うのも楽しいかもしれません。
安全でお洒落で快適な自転車ライフを荒川区から全国に提案出来たら素晴らしいと思いますね。

作る過程で大切にしているのは「その人が自転車に何を求めているのか」ということです。
売るのは自転車ではなく「目的」にあわせた「満足」です。自転車によってその人の生活がどう変わったのか、ライフスタイルにどれだけ寄与できたのかが職人冥利ですね。作り手が考えていることが形になるのだから、悪い考えで仕事をすれば悪い形が出来ます。仕事に真摯に向き合う姿勢がないと「満足」してもらえる自転車にはなりません。
理想ばかりを追っている訳ではないのですが、自転車に関わって40年近く絶えず赤字です。女房に言わせると「30年間だまされっぱなし」だとか…。死ぬまでに黒字を出して「あんたと結婚してよかった」と言わせたいですね(笑)。
これからも「一生勉強、一生青春」と思って仕事を続けていきます。
 |
|
 |
|
 |
かさばる書類カバンもスマートに収納。ビジネスマンにお勧め |
|
足を上げるのがつらい高齢者でも昇降が楽な親切設計 |
|
重たい荷物を載せても重心が安定。お買い物自転車の決定版 |