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荒川区は銭湯だ!「銭湯寄席」

荒川区は都内でも銭湯の多い地区で、高い煙突は下町風景のシンボル的存在です。町内に数件ある地域も珍しくありませんが、時代の移り変わりによりその数は次第に減少してきています。
銭湯離れに一石を投じ、地域の健康やコミニケーションを支える銭湯の良さを知ってもらおうと様々な試みがスタートしています。

銭湯寄席について

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東京都公衆浴場業生活衛生同業組合荒川支部長 長沼 徳太郎さん

昨年(平成18年)6月から一年に5回のペースで開催しています。「寄席」の企画は、荒川区の産業振興課から提案いただき、組合の賛同を得てすぐにたちあがりました。日暮里の銭湯で寄席を自主開催した組合員もいて、準備も順調にすすみました。
銭湯(公衆浴場業)は、まず親方の所で奉公して、年季があけると暖簾分けをして開業するという業界です。そのためかつて同じ親方に世話になった横の繋がりが結束力を生んで、何か企画が持ち上がった時には決まるまでスムーズなんですよね。
東京都の東部地域は比較的銭湯が多く残っていますが、中でも荒川区には現在42件の銭湯があります。
しかしながら内風呂が常識となった家屋事情もあり、一度も銭湯に行ったことがないという人も増えてきました。身体を洗うという機能面だけとれば「自宅でシャワー」でも済むかもしれませんが、銭湯には多くの魅力があります。 大きな湯船で四肢を伸ばしくつろげば、血流が良くなり万病のもとの「冷え」を防止します。ご家庭での水回りの掃除は面倒なものですが、銭湯を利用すれば手間いらずですし、単身者にとっては光熱費・水道代の節約にも繋がります。
このような健康面や衛生面での利点はもちろんですが、銭湯は昔から町の社交場として利用されてきました。生活に密着した話題や近況が交わされ、互いの息災を確認しあう地域のキーステーションです。また幼い子にとっては、親以外の他人に面倒をみてもらったり時には叱られたりもする躾の場です。「裸の付き合い」といいますが、銭湯は社会を学ぶ機知に富んだ場所であることを、今の時代だからこそ見直していただきたいですね。
我々としては「銭湯寄席」などの企画を通して少しでも多くの方に足を運んでもらい、のれんの奥をまず見てもらいたいと思います。番台の気さくさも良いものですが、若い女性は恥ずかしいといって敬遠するようです。今年同業組合ができて50年の節目にあたります。最近はフロント式にリフォームしたり、サウナや薬草湯を設けたりとバラエティのある銭湯も増えてきましたので、お好みの銭湯を見つけてみて入浴を楽しんではいかがでしょうか。

ご出演の噺家・三遊亭道楽さんに話を聞きました。

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寄席以外にも様々な所で噺をしますが、銭湯の脱衣場というのはまた変わっていますよね。 共通点といえば、寄席も銭湯も様々な人が集まってくること。人が集まれば面白い話が自然と生まれるもので、それがまた楽しいですね。
古典落語にも多くの人が集まる庶民の社交場として銭湯は良く登場するんですね。銭湯は、一般に「湯屋(ゆや)」と呼ばれて親しまれていました。大店の若旦那が番台に上がりたい夢を見る「湯屋番」は、名作として知られています。
私の銭湯の思い出は、前座だったころに兄弟子に銭湯券をもらったことですね。お互い貧乏でしたから兄弟子はその日銭湯には行かれなかったなんて泣ける話もありました。 ご来場いただいたお客さんには、落語で大いに笑っていただき、その後一風呂あびて心も身体も元気になっていただきたいです。

銭湯寄席の様子

 
今回は荒川の喜楽湯での開催、ご主人のご挨拶。   男湯の脱衣場に作られた高座。お客さんは大入り。
 
 
前座は三遊亭かっ好さん。   手拭いを帳面に見立てて。
 
 
真打ちの三遊亭道楽さん。   扇子を絵馬に見立てて。

銭湯の歴史

鎌倉・室町時代に始まった入浴の習慣は、湯屋(銭湯)としてに庶民の間に浸透してきました。江戸の銭湯は、家康が江戸に入った翌年の天正19(1591)年、銭亀橋(現在の江戸橋近く)に作られたのが最初で、その後、増え続け町内に1件は、銭湯があったといわれています。
当時の銭湯は、脱衣場と洗い場は今のように仕切がなく、ひと続きでした。仕切があるのは洗い場と湯船の間で「幕板(まくいた)」と呼ばれる仕切が天井から下がっていました。幕板は床まで届かず、人が屈んでくぐれるくらいの隙間があいており、それは「柘榴口(ざくろぐち)」と呼ばれていました。この構造は湯気が逃げて湯が冷めない工夫でしたが、中が暗く湯気でもうもうとしているため、大変視界が悪く今とは随分おもむきの異なるものでした。
湯船は、男女の区別はなくほとんどが混浴でした。風紀上好ましくないため何度となく混浴の禁止令が出ましたが必ずしも守られなかったようです。この混浴がなくなったのは、明治時代に入ってからのことでした。番台が脱衣場を向いて座るのは、盗人を見張るためでした。布が貴重な時代、古い着物を脱いで他人の着物を着て帰り売りはらってしまう手口が横行したそうです。
営業時間は、朝から夕方4時くらいまでの時間でした。これは、火を使うということで防火というところから営業時間に制限がありました。
明治10年に、浴槽を板間に沈め流し場の天井を高くして湯気抜き窓を設けた開放的な銭湯が現れました。柘榴口式浴場が衛生的理由から全面禁止に至ったのは明治17年です。現在の銭湯のスタイルは様々な変遷を経て確立されたといえましょう。

詳細は「銭湯の歴史日本編」をご覧ください。
http://www.1010.or.jp/menu/history/rekishi00.htm

銭湯の一年

年間を通して様々な催しを行っています。詳しくは各銭湯に掲載されているポスターをご覧ください。

1月2日 正月朝湯 江戸時代からの風習。正月2日の朝湯を初湯といいます。
※先着で石鹸をプレゼントします。
5月5日 しょうぶ湯 端午の節句は別名菖蒲の節句ともいい厄除け、魔よけの行事が行われました。
「菖蒲」の音が「勝負」や「尚武」に通じることや強い香気が邪気を払うと信じられています。
※小学生以下入浴料無料でジュースをプレゼントします。
9月17日
(敬老の日)
ふれあい入浴デー ※先着で乳酸飲料をプレゼントします。
10月10日 銭湯の日・ラベンダー湯 1010=セントウの日。ラベンダー湯はヨーロッパで広く行われているハーブ浴のひとつで心身のリラックス、免疫力の向上などすぐれた薬効効果が知られています。※先着でタオルをプレゼントします。
12月22日
(冬至の日)
ゆず湯 一年の内で最も夜の長い冬至は「死に近い日」と思われており身体を温め無病息災を祈りました。冬至(とうじ)を湯治(とうじ)とかけて「融通が利くように」と柚子湯に入ります。
※小学生以下にジュースをプレゼントします。

親子ふれあい入浴事業 年6回開催(19年度これからの日程)
※無料入浴券持参で親子(子は小学生まで)入浴料無料です。
実施日  19年11月17日(土)  20年1月19日(土) 20年3月15日(土) 

詳細は東京都浴場組合公式サイトでご確認ください。
http://www.1010.or.jp/main/index.shtml

 
平成19年9月掲載記事
問い合わせ先 荒川区管理部情報システム課
電話:03-3802-3111(内線 2151)

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