荒川ゆうネットアーカイブ
 荒川ゆうネットアーカイブは
 荒川区の地域ポータルサイト「荒川ゆうネット」の
 過去ログです。
トップページ > 特集 > 荒川区再発見水上バスに乗って隅田川
荒川ゆうネットは、平成16年から22年までに開設されていたサイトです。
内容は、掲載当時のものとなります。

荒川区再発見水上バスに乗って隅田川

 

隅田川を航行する水上バス・東京水辺ラインに乗船すれば、ふだん気づかなかった水の街・荒川区を感じることが出来るでしょう。
治水対策の護岸工事でコンクリートで固められた川も、近年スーパー堤防などの整備により区民にとって身近な存在に戻りつつあります。
今回の荒川区再発見は川の上からの風景をレポートします。



隅田川と荒川

写真
尾久の原公園上空より撮影:荒川(写真上)隅田川(写真下)

荒川区には荒川は流れていないことをご存じでしょうか?荒川区の北を添うように流れるのは隅田川です。江戸時代には「大川」と呼ばれ親しまれました。
この水運は関東各地と江戸を結ぶ輸送路として重要な役割を果たし、江戸のみならず周辺地域の発展にも大きく貢献しました。
現在のように隅田川と荒川(放水路)が2本の河川として流れるようになったのは大正時代のこと。それまでは、現在の隅田川が荒川と呼ばれていました。荒川は、昔から大雨が降ると名前のとおり荒れる川となり洪水が発生し近隣の人々を苦しめました。江戸から東京へと発展する明治時代に度重なる洪水から東京のまちを守る治水対策のため荒川放水路が開削され治水安全が高まりました。



隅田川にかかる橋

写真
交通量の多さは今も変わらぬ千住大橋

隅田川は鉄道橋や高速道路も含めると実に多くの橋が架けられ、橋の形や意匠も様々で見る人の目を楽しませてくれます。
隅田川に最初に架けられた橋が千住大橋でした。大橋と呼ばれて親しまれ、江戸の交通や物流の要所として大変賑わいました。明暦の大火の折、他に橋がなく多くの犠牲者を出したため隅田川には大火の避難経路として両国橋・永代橋など次々に架設されました。

写真

●白鬚橋
昭和6(1931)年に架設された、荒川区と台東区の区境にかかる橋です。橋名は墨田区東向島にある白鬚神社に由来。橋が架かる以前は「橋場の渡し」「白鬚の渡し」と称される渡船場があり、記録に残る隅田川の渡しでは最も古く、源頼朝の時代に舟を並べた浮き橋があったともいいます。

 
写真

●水神大橋
昭和63(1988)年に架設された橋で、橋名は隅田川神社に由来。隅田川神社は水神をまつっているためです。かつて付近には水神の渡しがありました。

     
写真

●千住汐入大橋
隅田川にかかる橋では2番目に新しく、平成18(2006)開通。災害時の防災拠点として再開発事業の進行する白鬚西地区(荒川区南千住)と足立区を結びます。
昭和40年頃まで「汐入の渡し」が残り、隅田川では最も最近まで運行されていた渡しです。

 
写真

●千住大橋
文禄3(1594)年に隅田川で一番最初に架設され大橋と呼ばれました。松尾芭蕉の「奥の細道」の出発点としても知られます。
現在の橋は昭和2年に関東大震災の復興計画で架設されたもので、車輌は下り専用となっています。昭和48年に架橋された上り専用道と併せて千住大橋と呼ばれます。

     
写真

●尾竹橋
昭和9(1934)年に架設されました。「尾竹の渡し」があり、かつて付近に「富士見屋」「柳家」「大黒屋」という三軒の茶屋が営業していたそうです。そこの看板娘「おたけ」から名付けられたという逸話が残ります。架橋後は尾竹橋通りが賑わうようになりました。

 
写真

●尾久橋
昭和43(1968)年の高度成長期真っ直中に建設されました。大正中期から昭和初期まで、この地には「熊野の渡し」がありました。

     
写真

●小台橋
昭和8年(1933)年に架設され、隅田川にかかる区内最上流部の橋です。
「小台の渡し」は西新井方面に通じる交通手段でしたが架橋後は小台通りがますます賑わい、小台銀座商店街への形成に繋がりました。

   


「川の上からの風景」見どころ

普段は気が付かない風景が散りばめられていました。

写真

●水辺に遊ぶ鳥
ゆりかもめなどの水鳥が、船と競争しているかのように水面ぎりぎりに飛来していきます。

 
写真

●東京ガスタンク
南千住にある東京ガスのガスタンクです。手前にある石浜神社は浅草名所七福神のひとつに数えられ、寿老神がまつられています。

     
写真

●瑞光橋
隅田川貨物駅構内まで掘り込まれた運河の上にかかります。奥に荒川区立瑞光橋公園があり、汐入水門がモニュメントとして歴史を今に伝えています。

 
写真

●東京都立産業技術高等専門学校
平成18年4月から都立航空工業専門学校が東京都立工業高等専門学校と統合され、都立産業技術高等専門学校となりました。航空工学科が設置されており、全国高等専門学校ロボットコンテストでは優勝経験もあります。
そんな学校らしいレリーフが川から見える体育館側面に描かれていました。

     
写真

●都立汐入公園・スーパー堤防
都立汐入公園は白鬚西地区市街地再開発事業で造成された荒川区内で最も大きな公園(12.9ha)です。展望広場、ふれあい広場、多目的広場やスポーツ施設などがありのびのびと楽しめる広場公園となっています。またさまざまな防災施設を備えています。
公園に隣接したスーパー堤防は、散策路やサイクリングロードとしても利用され、水辺空間と一体になって公園の周囲を1キロに渡って囲んでいます。

 
写真

●屋形船 入船
千住大橋のたもとで釣り船と屋形船を営業。営業日以外は停泊している船が眺められます。
屋形船の航程は千住大橋(北千住側)を出発点として、16橋をめぐりながら隅田川をくだり、お台場をまわって戻ります。
地元から屋形船に乗れるのが魅力的です。
〒116-0003 東京都荒川区南千住6-64-9
http://irifune36-39.com/

     
写真

●アクロシティ
中高層マンションが立ち並ぶアクロシティの隅田川沿いには低木が植えられた、スーパー堤防が続いています。春には桜並木も美しく、近隣住民が犬の散歩やジョギングなどを楽しんでいるのが見えます。

 
写真

●三河島水再生センター
突如として現れる要塞のような施設は三河島水再生センターです。大正11年に造られた日本で最初の近代的な下水処理施設です。処理された水は隅田川へ放流しています。
処理施設の上部は荒川自然公園として開放され、野球場、テニス場、児童遊園、交通園などがあります。新東京百景に選ばれています。

     
写真

●藍染川の終着点
藍染川は日暮里の高台、文京区側を流れていた谷田川(藍染本流)の氾濫防止として、西日暮里の京成高架線付近までトンネルで分水、排水路として大正7(1918)年に造られました。昭和35(1960)年に保健衛生上の問題などにより全面トンネル化され、現在は道路になっていますが、トンネルを流れる藍染川幹線は三河島水再生センターで下水処理をされ隅田川へ放流されています。

 
写真

●清掃事務所
東京23区清掃事業の一般廃棄物運搬船です。ゴミが最終処理場に運ばれる手段は陸上輸送以外にも水上輸送があります。

     
写真

●都立尾久の原公園
このコンクリートの向こうは湿性植物が多く見られる、荒川区で2番目に広い都立尾久の原公園です。アシが川辺に繁茂していました。貴重なトンボの生息地であり、区民の手によりシダレザクラの名所づくりが進められています。

 
写真

●あらかわ遊園
荒川遊園発着所はあらかわ遊園に隣接した発着所です。
荒川遊園では、園内の乗物利用料金が3割引になる電子マネーがが利用できます。
※詳しくはこちら



水上バスの御案内

写真
あじさい号外観
近未来的な低くスマートな船体
 
写真
あじさい号船内
落ち着いたインテリアでリラックス

隅田川と荒川を航行する水上バスは「東京水辺ライン」と「東京都観光汽船」という2社によって運営されています。荒川区を通るコースは「東京水辺ライン」で確認してください。区内の水上バスの発着所は「荒川遊園」があり、2006年に開通した千住汐入大橋を渡れば「千住」発着所もすぐです。
水上バスのタイプは定員140名様の「さくら号」「あじさい号」と定員200名様の「こすもす号」があります。いずれもシャープな船の外観で、船内は落ち着いたインテリアとゆったりしたシートが配置されています。運転席はガラス張りで操縦の様子なども見られますので子ども達に人気です。
船内でゆったりと川面を眺めるのも良いでしょうが、おすすめはデッキで川風と水しぶきを感じながらのクルーズ。川にかかる橋の全景はデッキからしか見ることは出来ませんので要チェックです。
※水上バスの航行ルートや便数は季節や日時によって異なります。乗船の際は必ず事前に確認してください。
●東京水辺ライン 問い合わせ
  03-5608-8869[9:00〜17:00月曜休]
http://www.tokyo-park.or.jp/waterbus/index.html

※取材記事は平成19年5月現在のものです。

 
問い合わせ先 荒川区管理部情報システム課
電話:03-3802-3111(内線 2151)
前のページへ戻る
トップページへ戻る
ページの先頭へ戻る

トップページへ戻る