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子ども会の買い出しに真剣な表情のお母さんたち。「いろんな方がお見えになりますよ。お医者さんも来てね、おもちゃをあげるって言えば注射も我慢するそうで、沢山買ってきますよ。」 |
和24年に親父が始めました。駅前のバラックからスタートしました。当時、私が小学校5年か6年生でした。
そのころの駄菓子問屋街の思い出といえば、道路が土のままで舗装されていなかったので、雨が降るとまるで田んぼのように、足許がぐしゃぐしゃになったということかな。
店と住まいは別々の所で、我が家は三河島寄りにありました。朝一番の4時くらいの電車で皆、通っていましたね。
店を継いだのは夜学に通う高校2年生の時で、仕事も勉学も両立していました。それからというものこの道一筋です。
 成20年のビル完成までなんとかこの仮店舗で頑張ります。
昨年「駄菓子問屋が終わってしまう」という切り口で、かなりマスコミに取りあげられましたが、その後も頑張っている我々がいることを、区民の皆さんをはじめ全国のお客さんに、是非伝えたいですね。
ここに移転したことで客層が大きく変わったということはありませんが、個人で買いに来る一般客は少なくなりました。また、店舗の面積は以前の広さの80%しかないので商品が置ききれず、その分車庫を借りて頑張っています。
今の仮店舗には、駄菓子問屋3件がありますが商売敵などど言わずに、やっぱり固まっているほうがいいですね。
15年前にマーケットを壊してビルが建ったとき、仲間がちりぢりになったんですが、たった50Mしか離れていないのに、一般客は店が固まっている方に行きたがるんです。消費者心理なんですかね。今回は3件しか残らなかったけれど、こうしてまとまって良かったと思っています。
 在娘が店を手伝ってくれています。孫が小学校4年生なので、見本市などでは母親の感性で、子どもに受けそうな商品を見つけてきます。
また素人客が買いやすいように、箱をバラして袋つめにするなど一手間かけて工夫しています。娘との2人3客というところでしょうか。うちの特徴は、おもちゃ系が多いことですが駄菓子も今まで通り安くて美味しいものを販売しているので、みなさん頑張って探しにきてください!
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