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更新日:2020年6月27日

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荒川ふるさと文化館 展示案内

荒川区に人々が住みはじめたのは、今から2から3万年前の旧石器時代にさかのぼるといわれます。以来、現在に至るまでさまざまな人々が生活を営み、そのときどきの文化や風俗が、遺跡や慣習として今日に伝わっています。古くは日暮里延命院貝塚や道灌山遺跡、または中世の板碑、近世の古文書、さらに近代にいたっては近代産業の礎を築き、東京の経済発展の担い手として貢献した数々の産業遺産が残されています。

荒川ふるさと文化館では、荒川に関する考古・歴史・民俗資料を、荒川の通史に基づき展示公開しているほか、文化財に関するパネル、奥の細道に関する展示などを常設展示しています。また、実物・模型・タッチパネルの検索などであらかわの歩みを知ることができます。

常設展示の内容を分かりやすく解説した図録(別ウィンドウで開きます)も刊行しておりますので、併せてご利用ください。
図録等の有償頒布物、ミュージアムグッズは、展示室受付(ミュージアムショップ)で購入できます(別ウィンドウで開きます)

館内の主な施設

  • 常設展示室(有料)
  • 企画展示室(有料)
  • 野外展示「橋本左内の墓旧套堂」(無料)
  • あらかわ伝統工芸ギャラリー(無料)

文化館1階図面
文化館1階の平面図です

常設展示エリア内

  1. プロローグ・あらかわの原始ゾーン
  2. あらかわの古代・中世ゾーン
  3. あらかわの近世ゾーン
  4. あらかわの近現代ゾーン
  5. あらかわの暮らしと空間(復元家屋と路地)
  6. (星印)「奥の細道と千住」コーナー

そのほか、史跡・文化財紹介コーナーもあります。

展示室内エリアの図面

常設展示室は5つのエリアに分かれています

常設展示の写真
雰囲気のある近世ゾーン(図面3)

奥の細道コーナー写真
奥の細道の全旅程図も(図面星印)

復元家屋の写真
昭和41年の夏にタイムスリップ(図面5)

常設展示エリアの詳細

1 プロローグ・あらかわの原始ゾーン

プロローグでは、日本列島に人類が住み始めた旧石器時代、いわゆる「氷河時代」とも呼ばれた時代には海の底であったあらかわの台地や低地が、どのようにしてつくられてきたのかを図で説明しています。
あらかわの原始については、発掘調査などで確認されている遺跡で武蔵野台地の東端の上野台地に位置する縄文時代後期(約4,000年前)の日暮里延命院貝塚、縄文時代前期(約6,000年前)から弥生時代を中心とした道灌山遺跡などの、当時の台地上に暮らした人々がどのような生活をしていたのかを、発掘された遺物も含め解説しています。

2 あらかわの古代・中世ゾーン

古代のあらかわでは、台地上に住んでいたあらかわの人々が、次第に台地から低地へ生活の場を求め、武蔵野国豊島郡白方(占方)郷・荒墓郷・湯島郷という地方行政制度の中で暮らすようになります。
当時の石浜(現荒川区南千住三丁目、台東区橋場付近)が、古代・中世を通じて水上交通の要地として公家・武士・僧侶など、さまざまな人がここを行き交った様子を紹介しています。また中世では、石浜の地が、中世東国の流通・交通の大動脈として重要な役割を果した荒川の下流に位置していたこともあり、物資や人の運搬による交易が盛んになっただけでなく、文化や宗教も川を伝わって広まっていき、荒川流域に大量に分布した板碑の年代別における造立数の推移を図表で紹介しています。

3 あらかわの近世ゾーン

近世になると、江戸に幕府がおかれました。江戸は旗本や御家人、諸大名とその家臣などの武家、商人や職人、地方からやって来る人など、さまざまな人々が生活する巨大都市に発展しました。
近世のあらかわは、大都市江戸の近郊農村であり、江戸市内の町々と深い関係を持っていました。大名・旗本の武家屋敷、商人や町人の住む街道沿いの町屋、それに寺院・神社も点在して、農村と町の入り交じった特色ある地域となりました。
ここでは、千住の地が、奥州・日光道中と荒川が交差している交通の要地であったことから、奥州方面への玄関口としてにぎわい、荒川を上り下りする川船の航行が盛んになってくることと、さまざまな職業の店が立ち並ぶ宿場の町並みが、どのような職業によって構成されていたかを、グラフィックパネルで紹介している千住下宿と河岸のコーナーや、3枚の絵図からなる「小塚原村絵図」をコンピューターで合成し、タッチパネルにより検索できる『小塚原村絵図検索装置』、当時の河岸の様子を再現した『河岸模型』、荒川で生まれたさまざまな伝承や雨乞いなどの水辺の行事や「富士講」をはじめとしたあらかわの講や「日待・庚申待」を紹介したあらかわのまつりコーナーなどを展示しています。

※新型コロナウィルス感染拡大防止のため、『小塚原村絵図検索装置』は使用を中止しています。

4 あらかわの近現代

近代になって、あらかわは東京府に編入されましたが、依然として産業の中心は農業でした。東京の中心部に近く水の利が得やすいという立地から、千住製絨所をはじめとする工場が建てられました。さらに、鉄道などの陸上交通も整備され工場の誘致に拍車がかかり、田畑は次第に姿を消していきました。
あらかわが農村から都市へと完全に変貌を遂げたのは、関東大震災の後です。第2次世界大戦ですべて焦土と化しましたが、まもなく復興し、金属機械・家具・皮革・既製服を主な産業とする京浜工業地帯の一翼を担う工場の町へと成長していきます。
ここでは近代工業発祥の地、千住製絨所に関する展示やあらかわの近代の歩みを紹介する年表が展示され、ものづくりの町・あらかわの歩みを知ることができます。

5 あらかわの暮らしと空間(復元家屋と路地)

角を曲がれば、懐かしいラジオの音声や子どもたちの声が聞こえる昭和41年の夏の路地の風景が広がります。ニコイチと呼ばれる二軒長屋やモルタルで増築された三軒長屋のほか、共同水道や木箱のごみ箱、一戸建て住宅の脇にトタンで屋根が作られた手作りの物置場所など、あらかわで良く見られた生活空間を復元したゾーンです。

★ 奥の細道と千住

元禄2年(1689年)3月27日、松尾芭蕉は深川の採茶庵から隅田川を遡り、千住で船を降りました。そして門弟たちに別れを告げ、奥の細道へと旅立ちました。
千住は、奥の細道紀行において、矢立初めの句を読んだ土地であり、旅立ちの地として知られています。令和元年8月24日に、奥の細道330周年を記念して常設展示室に「奥の細道と千住」コーナーを新設しました。
ここでは、実物資料をはじめ、奥の細道紀行の全旅程を記した大型展示物や解説パネルを展示しています。

あらかわ史跡・文化財データ検索

展示では伝えきれない情報、区内の史跡や文化財の情報をマルチメディア展開で紹介します。タッチパネルを操作しながら「地域めぐり」・「史跡事典」・「おはなしBOX」などを自由に選んで、あらかわの歴史・文化を興味深く学習できます。

※新型コロナウィルス感染拡大防止のため、データ検索装置は使用を中止しています。荒川区の伝承などを知るには「あらかわ今昔ものがたり」(別ウィンドウで開きます)もおすすめです。

関連情報

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お問い合わせ

地域文化スポーツ部生涯学習課荒川ふるさと文化館

〒116-0003荒川区南千住六丁目63番1号

電話番号:03-3807-9234

ファクス:03-3803-7744

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