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荒川区
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荒川ふるさと文化館常設展示室

更新日:2019年8月25日

荒川区に人々が住みはじめたのは、今から2から3万年前の旧石器時代にさかのぼるといわれます。以来、現在に至るまでさまざまな人々が生活を営み、そのときどきの文化や風俗が、遺跡や慣習として今日に伝わっています。
古くは日暮里延命院貝塚や道灌山遺跡、または中世の板碑、近世の古文書、さらに近代にいたっては近代産業の礎を築き、東京の経済発展の担い手として貢献した数々の産業遺産が残されています。

荒川ふるさと文化館では、これらの荒川に関する考古・歴史・民俗資料を、荒川の通史に基づき展示公開しています。

プロローグ・あらかわの原始ゾーン

プロローグでは、日本列島に人類が住み始めた旧石器時代、いわゆる「氷河時代」とも呼ばれた時代には海の底であったあらかわの台地や低地が、どのようにしてつくられてきたのかを図で説明しています。
あらかわの原始については、発掘調査などで確認されている遺跡で武蔵野台地の東端の上野台地に位置する縄文時代後期(約4,000年前)の日暮里延命院貝塚、縄文時代前期(約6,000年前)から弥生時代を中心とした道灌山遺跡などの、当時の台地上に暮らした人々がどのような生活をしていたのかを、発掘された遺物も含め解説しています。

あらかわの古代・中世ゾーン

古代のあらかわでは、台地上に住んでいたあらかわの人々が、次第に台地から低地へ生活の場を求め、武蔵野国豊島郡白方(占方)郷・荒墓郷・湯島郷という地方行政制度の中で暮らすようになります。
当時の石浜(現荒川区南千住三丁目、台東区橋場付近)が、古代・中世を通じて水上交通の要地として公家・武士・僧侶など、さまざまな人がここを行き交った様子を紹介しています。また中世では、石浜の地が、中世東国の流通・交通の大動脈として重要な役割を果した荒川の下流に位置していたこともあり、物資や人の運搬による交易が盛んになっただけでなく、文化や宗教も川を伝わって広まっていき、荒川流域に大量に分布した板碑の年代別における造立数の推移を図表で紹介しています。

あらかわの近世ゾーン

近世になると、江戸に幕府がおかれました。江戸は旗本や御家人、諸大名とその家臣などの武家、商人や職人、地方からやって来る人など、さまざまな人々が生活する巨大都市に発展しました。
近世のあらかわは、大都市江戸の近郊農村であり、江戸市内の町々と深い関係を持っていました。大名・旗本の武家屋敷、商人や町人の住む街道沿いの町屋、それに寺院・神社も点在して、農村と町の入り交じった特色ある地域となりました。
ここでの主なコーナーは、千住の地が、奥州・日光道中と荒川が交差している交通の要地であったことから、奥州方面への玄関口としてにぎわい、荒川を上り下りする川船の航行が盛んになってくることと、さまざまな職業の店が立ち並ぶ宿場の町並みが、どのような職業によって構成されていたかを、グラフィックパネルで紹介している千住下宿と河岸のコーナーや、3枚の絵図からなる「小塚原村絵図」をコンピューターで合成し、タッチパネルにより検索できる『小塚原村絵図検索装置』、当時の河岸の様子を再現した『河岸模型』、荒川で生まれたさまざまな伝承や雨乞いなどの水辺の行事や「富士講」をはじめとしたあらかわの講や「日待・庚申待」を紹介したあらかわのまつりコーナーなどを展示しています。

あらかわの近現代

近代になって、あらかわは東京府に編入されましたが、依然として産業の中心は農業でした。東京の中心部に近く水の利が得やすいという立地から、千住製絨所をはじめとする工場が建てられました。さらに、鉄道などの陸上交通も整備され工場の誘致に拍車がかかり、田畑は次第に姿を消していきました。
あらかわが農村から都市へと完全に変貌を遂げたのは、関東大震災の後です。第2次世界大戦ですべて焦土と化しましたが、まもなく復興し、金属機械・家具・皮革・既製服を主な産業とする京浜工業地帯の一翼を担う工場の町へと成長していきます。
ここでは近代工業発祥の地、千住製絨所に関する展示やあらかわの近代の歩みを紹介する年表やあらかわの昭和41年頃の路地風景を再現した復元家屋などがあり、当時のあらかわの様子を知ることができます。

あらかわ史跡・文化財データ検索

展示では伝えきれない情報、区内の史跡や文化財の情報をマルチメディア展開で紹介します。タッチパネルを操作しながら「地域めぐり」・「史跡事典」・「おはなしBOX」などを自由に選んで、あらかわの歴史・文化を興味深く学習できます。

奥の細道と千住

元禄2年(1689年)3月27日、松尾芭蕉は深川の採茶庵から隅田川を遡り、千住で船を降りました。そして門弟たちに別れを告げ、奥の細道へと旅立ちました。
千住は、奥の細道紀行において、矢立初めの句を読んだ土地であり、旅立ちの地として知られています。令和元年8月24日に、奥の細道330周年を記念して常設展示室に「奥の細道と千住」コーナーを新設しました。
ここでは、実物資料をはじめ、奥の細道紀行の全旅程を記した大型展示物や解説パネルを展示しています。

お問い合わせ

荒川ふるさと文化館
〒116-0003
荒川区南千住六丁目63番1号
電話:03-3807-9234

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