更新日:2021年12月1日

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令和3年度日暮里道灌まつり(WEB、パネル展)

令和3年度「日暮里道灌まつり」は、WEBでの関係団体の紹介等及びふらっとにっぽりでパネル展を開催します。

落語「道灌」(三遊亭王楽氏)

三遊亭王楽氏による落語「道灌」、荒川区公式YouTubeでお楽しみください!

公開期間

令和3年12月1日(水曜)から15日(水曜)まで

パネル展

下記期間中、ふらっとにっぽりでパネル展を行います。
本ページでは太田道灌の各地での活躍をご紹介しますので、あわせてご覧ください。

会場

ふらっとにっぽり(東日暮里6-17-6)

期間

令和3年12月1日(水曜)から15日(水曜)まで

各団体及び特産品等紹介

埼玉県さいたま市(外部サイトへリンク)

道灌と芳林寺

さいたま市 道灌像 城下町であった岩槻区には、岩槻城ゆかりの武将や大名の墓所・霊廟を祀っている寺社が多く、そのひとつ芳林寺には、太田道灌の供養塔があります。岩槻城の築城者には諸説がありますが、道真・道灌父子が築城したとも言われ、その子孫の太田資正が東松山から道灌の遺骨を当地に移し、資正の子氏資が母の芳林尼の追慕のため、寺名を芳林寺にしたと伝えられています。この太田氏ゆかりの芳林寺に、平成19年、甲冑姿の道灌の銅像が建立されました。このほか、さいたま市岩槻人形博物館敷地内にも、銅像が建立されています。

さいたま観光国際協会(外部サイトへリンク)

ヨーロッパ野菜研究所

ヨーロッパ野菜研究会(外部サイトへリンク)

若手農家がヨーロッパの野菜を栽培し、レストラン向けに流通して地産地消を目指しています。

鈴木酒造

鈴木酒造(外部サイトへリンク)

明治四年創業 日本酒の蔵元です。

かみしもどーる

有限会社新井人形店(外部サイトへリンク)

「綺麗に、優しく、可愛らしく」
人形の優しさと癒しを暮らしの中に

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太田酒造株式会社(外部サイトへリンク)

道灌と酒造

太田酒造 酒「道灌」ワインから日本酒・焼酎まで手掛ける日本一小さな総合酒類メーカーです。太田道灌を祖先に持つ創業明治7年(1874)の歴史と伝統のある酒造です。太田家はかつて水陸交通の要所として栄えた草津において三代将軍家光の命を受け、その動静を見守る関守の役目を代々務めてきました。
太田家の酒造りは、約150年前の江戸末期にさかのぼります。当時、所有していた田畑とその年貢米の近江米を有効に使うために酒造りをはじめました。酒造りの歴史自体はそれほど古くありませんが、草津宿を守ってきた「太田家」としての歴史は古く、先祖には江戸城を築城したことで有名な「太田道灌」がいるため、その名前を使用し、道灌という銘酒を造りました。

埼玉県秩父市(外部サイトへリンク)

道灌と長尾景春

秩父市 熊倉城跡 応仁の乱を境に室町幕府の支配体制は揺らぎ、関東では長尾景春が関東菅領山内上杉顕定に反旗を翻し、文明10年(1478)年に道灌によって武蔵鉢形城(寄居町)で敗れました。敗走した長尾景春は伊玄入道と称し、秩父に逃げ込み、長尾城、熊倉城と道灌軍に追われたと言われています。

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埼玉県越生町(外部サイトへリンク)

道灌 誕生の地

越生町 太田道灌像 道灌が生まれたとされる「山枝庵」や、若き日の道灌が鷹狩りの途中で立ち寄ったとされる「山吹の里」、道灌とその父道真が眠る墓のある「龍穏寺」など、越生町には道灌ゆかりの地が点在しています。町では、そのゆかりの地を巡るハイキングコースも設定しています。
写真は、県立越生高等学校美術科の教諭と生徒が制作した「太田道灌像」です。越生町役場の正面玄関に設置しています。
越生 道灌セット

株式会社越生特産物加工研究所(外部サイトへリンク)

梅を使ったロングセラー商品「元気百梅」、ゆずの香り豊かな「柚子ようかん」や「柚子七味唐辛子」など様々な商品を展開してまいりました。
これからも、越生の梅・越生の柚子を使った新商品を全国に発信し続けるとともに、地元農家と連携し新規作物の栽培・加工・販売までを行う「地域の6次産業化」を積極的に進めてまいります。

埼玉県東松山市(外部サイトへリンク)

道灌と青鳥城

東松山市 青鳥城跡青鳥城跡は、古伝によれば天長年間(830年頃)に青鳥判官藤原恒義の館跡と伝えられていますが、築城がそこまで遡ることは考えられず、早くても平安時代末期頃と推定されます。城内と周辺からは、鎌倉時代から南北朝時代にかけての板碑が多く発見されており、また、築城様式からは南北朝時代の頃に造営されたものと考えられます。「太田道灌状」によれば、「長尾景春の乱」において、文明10年(1478)7月13日に扇谷上杉定正・道灌主従が青鳥に在陣したとあります。その後、後北条氏が活躍する時代に、松山城の出城として利用され、最後の城主は、松山城主上田安独斎の家臣、山田伊賀守直安と考えられます。現在は宅地や畑となっていますが、外郭土塁や空堀が残存しています。

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埼玉県川越市(外部サイトへリンク)

道灌と川越城

川越市 太田道灌像 川越城は、長禄元年(1457)に、上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子が築いたといわれています。
江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となっていました。現存する建物は嘉永元年(1848)に建てられたもので、本丸御殿の一部として玄関・大広間・家老詰所が残り、川越藩十七万石の風格をしのばせています。

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東京都北区(外部サイトへリンク)

静勝寺と太田道灌坐像

北区 太田道灌坐像道灌が砦として築いたと言われる稲付城を道灌の死後、寺にしたのが静勝寺の始まりです。木造の太田道灌坐像が安置されています。像は、道灌の命日である7月26日にちなんで毎月26日に開扉されます。道灌像は元禄8年に造立され、像を祀る道灌堂は道灌の250回忌に当たる享保20年(1735)7月に建立されています。像を納める厨子は350回忌に当たる天保6年(1835)7月に製作されました。像が道灌が没してから200年以上も後に像立されたものではありますが、その風貌を伝える唯一の木像として大変に貴重で、平成元年(1989)1月に北区の指定有形文化財に指定されました。

東京都武蔵村山市(外部サイトへリンク)

太田道灌村山の陣

武蔵村山市 真福寺道灌は文明10年(1478)4月、長尾景春の乱で敵方(景春方)の小机城(横浜市)を落とすと、二宮城(あきる野市)に立て籠もる大石駿河守を攻めるため、村山に陣をとったと鎌倉大草紙という軍記に記されています。
村山の陣については、武蔵村山市中藤の真福寺あるいは同三ツ木の大正山という二説があります。どちらも狭山丘陵の南麓にあり、二宮城や景春方が立て籠もった奥三保(相模原市)を遠く望むことができる絶好の陣所と言えます。

神奈川県伊勢原市(外部サイトへリンク)

道灌 最後の地

伊勢原市 洞昌院道灌は洞昌院の辺りにあった粕谷館で非業の死を遂げました。洞昌院の境内北側に胴塚と呼ばれる宝篋印塔の墓と自害石と呼ばれる平らな石と、さらに北に殉死した家来を葬った七人の塚があります。

伊勢原手作り甲冑隊(外部サイトへリンク)

活動概要

伊勢原手作り甲冑隊0.7ミリメートルの厚紙を2枚貼り合わせて作った手作りの甲冑を着て、道灌まつりパレードなどに出陣、町おこしを応援する団体です。

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産業経済部観光振興課観光振興係

〒116-8501荒川区荒川二丁目2番3号(本庁舎6階)

電話番号:03-3802-3111(内線:461)

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