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荒川ゆうネットは、平成16年から22年までに開設されていたサイトです。
内容は、掲載当時のものとなります。
このページでは、荒川区の史跡・文化財の残る名所を紹介しています。
地図を見るには、地図ボタンをクリックしてください。
見学する場合には次の点に注意してください。
●寺社の境内や個人の邸宅では、まわりの人に迷惑がかからないように静かに鑑賞しましょう。
●一般公開をしていない文化財もあるのでご注意ください。
(事前に所有者または管理者に連絡をとり指示に従ってください。)
●写真撮影や拓本採取をする場合は、文化財の所有者の許可を得てください。
荒川・町屋
尾久
南千住
坂・渡し
池田屋敷跡
東日暮里1-17
旗本(はたもと)池田播磨守(はりまのかみ)の屋敷があった。
享保十三年銘庚申塔(猿田彦神社)
東日暮里3-8
胎蔵界大日如来(たいぞうかいだいにちにょらい)の種子(しゅじ)を刻む庚申塔(こうしんとう)がある。
カンカン森通りと猿田彦神社
東日暮里3-8
江戸時代「第六天王社」と称した当地を「カンカン森」と呼んだ。
御隠殿橋
東日暮里5-40
輪王寺宮(りんのうじのみや)の隠居所「御隠殿(ごいんでん)」の正面前の音無川(おとなしがわ)にかけられる。
将軍橋と芋坂(善性寺)
東日暮里5-41
善性寺門前を流れる音無川(おとなしがわ)にかけられた石橋。
蛇塚
西日暮里1-44
新堀(にっぽり)と谷中本(やなかほん)との村境に位置し、字(あざ)蛇塚の由来ともなった。
谷中生姜(しょうが)と音無川
西日暮里5-51
新堀と谷中本と呼ばれたこの周辺は葉生姜の産地であった。
月見寺(本行寺)
西日暮里3-1
月見寺と称される景勝の地。小林一茶など多くの文人が訪れた。
木造毘沙門天像(啓運寺)
西日暮里3-2
寛政9年(1797)墨書銘(ぼくしょめい)をもつ。他に日蓮宗系の庚申塔(こうしんとう)がある。
大黒天経王寺
西日暮里3-2
大黒堂の大黒天にちなみ大黒山と号す。
日暮里小学校跡
西日暮里3-3
日暮里地区で最初の公立小学校。
善福寺と文人たち
西日暮里3-3
談林派(だんりんは)歴代の句碑・柏木如亭(かしわぎじょてい)の碑・自堕落先生(じだらくせんせい)の墓などがある。
諏方神社
西日暮里3-4
豊島左衛門尉経泰(としまさえもんじょうつねやす)の創建と伝える日暮里・谷中の総鎮守。
諏訪台
西日暮里3-4
荒川区内を一望におさめる景勝の地。
江戸六地蔵と雪見寺(浄光寺)
西日暮里3-4
元禄4年(1691)に開眼(かいげん)した江戸六地蔵のひとつ。
道灌山
西日暮里3-5
虫聴きの名所として知られ、涼をもとめて人々が集まったところ。
滝沢馬琴の筆塚と花見寺(青雲寺)
西日暮里3-6
花見寺とも呼ばれる。滝沢馬琴の筆塚などがある。
日ぐらし布袋(修性院)
西日暮里3-7
谷中七福神のひとつ布袋尊(ほていそん)がある。
また修性院も花見寺と呼ばれている。
美濃遠山氏の聖観音(南泉寺)
西日暮里3-8
かつて境内にあった遠山氏の位牌所息心庵(いはいじょそくしんあん)の本尊。
七面明神と延命院の大椎
西日暮里3-10
幹の周囲が5.3メートル、樹齢は600年をこえているという。
日暮里延命院貝塚
西日暮里3-13
今から約4000年前の縄文時代後期の貝塚。
道灌山遺跡
西日暮里4-2
縄文時代から江戸時代にかけての複合遺跡。
第一号住居址・環濠
西日暮里4-2
弥生時代の住居址と集落の周りを囲んでいた環濠址。
佐竹屋敷と渡辺町
西日暮里4-2
秋田藩主佐竹家の抱(かかえ)屋敷跡。近代に一時期渡辺町と呼ばれた。
うすさま明王石像(正覚寺)
西日暮里5-8
文化14年(1817)の造像。手水場(ちょうずば)の神様といわれる。
養福寺仁王門(養福寺)
西日暮里3-3-8
談林派歴代の句碑(養福寺)
西日暮里3-3-8
*文化財についてさらに詳しくお知りになりたい方は、各報告書をご参照下さい。(区内図書館や区役所2階の情報提供コーナーでご覧になれます。区役所3階の教育委員会社会教育課、及び荒川ふるさと文化館では有償頒布もしています。)
荒川・町屋
尾久
南千住
坂・渡し
問い合わせ先 荒川区管理部情報システム課
電話:03-3802-3111(内線 2151)
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