荒川ゆうネットアーカイブは
荒川区の地域ポータルサイト「荒川ゆうネット」の
過去ログです。
トップページ
> 史跡・名所(南千住トップ)
荒川ゆうネットは、平成16年から22年までに開設されていたサイトです。
内容は、掲載当時のものとなります。
このページでは、荒川区の史跡・文化財の残る名所を紹介しています。
地図を見るには、地図ボタンをクリックしてください。
見学する場合には次の点に注意してください。
●寺社の境内や個人の邸宅では、まわりの人に迷惑がかからないように静かに鑑賞しましょう。
●一般公開をしていない文化財もあるのでご注意ください。
(事前に所有者または管理者に連絡をとり指示に従ってください。)
●写真撮影や拓本採取をする場合は、文化財の所有者の許可を得てください。
荒川・町屋
尾久
日暮里
坂・渡し
大関横町
南千住1-6
大関屋敷の南と西を取り囲んでいた。南側は現在の明治通り。
大関屋敷跡
南千住1-13
下野(しもつけ)(栃木県)黒羽(くろはね)藩主大関氏の屋敷があった。
宗屋敷跡
南千住1-15
対馬(つしま)(長崎県)藩主宗対馬守(そうつしまのかみ)の下屋敷があった。
石川屋敷跡
南千住1-26
伊勢(いせ)(三重県)亀山藩主石川日向守(ひゅうがのかみ)の下屋敷があった。
公春院の松
南千住1-32
「証拠の松」ともいわれる東武36名松のひとつがあった。
真正寺門前町
南千住1-56
寛文元年(1661)につくられた区内唯一の門前町(もんぜんまち)。
百観音円通寺
南千住1-59
旧上野の黒門・板碑4基・石造七重塔などがある。
彰義隊士の墓
南千住1-59
上野戦争で敗死した彰義隊士(しょうぎたいし)を葬る。
三ノ輪橋(音無川)
南千住2-1
音無川(おとなしがわ)が下谷道(現国道4号線)と交差するところにかけられた橋。
音無川と日本堤
南千住2-1
三ノ輪から聖天町(しょうてんちょう)までの土手を日本堤(にほんづつみ)といった。
投込寺(浄閑寺)
南千住2-1
新吉原(しんよしわら)の遊女(ゆうじょ)を供養する新吉原総霊塔(しんよしわらそうれいとう)がある。
思川と涙橋
南千住2-28
思川(おもいがわ)は南千住3丁目の東南部にあった堀。涙橋は泪橋とも書く。
小塚原刑場跡(首切地蔵)
南千住2-34
品川の鈴ケ森刑場(すずがもりけいじょう)とならぶ御仕置場(おしおきば)で、首切地蔵がある。
石浜城跡(石浜神社)
南千住3-28
鎌倉・室町時代、石浜城があったと伝える。
真先稲荷と田楽茶屋
南千住3-28
天文頃(1532〜1554)千葉守胤(ちばもりたね)が祀ったと伝えられる稲荷(いなり)。
対鴎荘跡
南千住3
白髭橋付近 明治6年、明治の元勲三条実美(さんじょうさねとみ)の別邸として建てられた。
石浜神社と隅田の渡し
南千住3-28
石浜神社は、奥州道(おうしゅうどう)の大社として人々の崇敬を集めた。
真先銭座跡
南千住3-40
酒井雅楽頭(さかいうたのかみ)の下・抱屋敷跡に設置され、天保通宝銭を鋳造していた。
酒井屋敷跡
南千住3-40
播磨(はりま)(兵庫県)姫路藩主酒井雅楽頭の下屋敷・抱屋敷跡。
笹の団子の如来(西光寺)
南千住5-16
本尊の阿弥陀像(あみだぞう)は、笹の団子の如来ともいわれる。
回向院
南千住5-33
観臓記念碑(かんぞうきねんひ)、吉田松陰、橋本左内の記念墓などがある。
東龍斎清寿の墓(真養寺)
南千住5-44
国道4号線西側の墓地に、江戸の金工(きんこう)東龍斎清寿の墓がある。
千住製絨所跡
南千住6-43
南千住6-38〜40、45付近にあった。
日本羊毛工業発祥の地
南千住6-45
明治12年(1879)、官営の千住製絨所(せんじゅせいじゅうしょ)が設立された。
井上省三君碑
南千住6-45
千住製絨所の初代所長井上省三(いのうえせいぞう)の功績を伝える。
下谷道
南千住6-48
江戸時代、上野輪王寺宮(うえのりんのうじみや)の日光参詣の道筋となっていた。
素盞雄神社
南千住6-60
俗に天王さまと呼ばれる。区内で最も広い地域の鎮守(ちんじゅ)。
天王社の大銀杏
南千住6-60
銀杏の皮を煎じて飲むと母乳の出がよくなるといわれる。
瑞光石
南千住6-60
素盞雄神社(すさのおじんじゃ)の祭神が降臨したと伝える奇石。
素盞雄神社と文人たち
南千住6-60
松尾芭蕉の句碑・森昌庵対慕の碑などがある。
瑞光小学校跡
南千住6-63
南千住地域に最初に建てられた公立小学校。
米倉屋敷跡
南千住6-67
下野(栃木県)皆川(みながわ)藩主米倉氏の下屋敷があった。
熊野神社
南千住6-70
千住大橋をかけるときに奉行伊奈忠次(いなただつぐ)が成就を祈願した。
千住の河岸
南千住6-71
江戸時代、千住大橋袂(たもと)の河岸には材木問屋が並んだ。
日慶寺の鬼子母神
南千住7-15
元禄年間(1688〜1704)に植えられた樹齢200年の松があった。
千住宿
南千住7-16
千住大橋南側の小塚原町・中村町は千住下宿と呼ばれた。
山王清兵衛(日枝神社)
南千住7-23
歯神清兵衛(はがみせいべえ)を祀(まつ)る。錨(いかり)をくわえた図の絵馬を奉納した。
砂尾堤と砂尾長者
南千住7-23
中世の石浜に砂尾長者と呼ばれる土豪が住んでいた。
東京電灯千住発電所(千住火力発電所跡)
南千住7-24
明治39年(1908)、当時日本最大規模の火力発電所が建設された。
汐入(胡録神社)
南千住8-11
汐入大根(しおいりだいこん)の産地、胡粉(ごふん)の製造などで知られた。
*文化財についてさらに詳しくお知りになりたい方は、各報告書をご参照下さい。(区内図書館や区役所2階の情報提供コーナーでご覧になれます。区役所3階の教育委員会社会教育課、及び荒川ふるさと文化館では有償頒布もしています。)
荒川・町屋
尾久
日暮里
坂・渡し
問い合わせ先 荒川区管理部情報システム課
電話:03-3802-3111(内線 2151)
前のページへ戻る
トップページへ戻る
ページの先頭へ戻る