荒川ゆうネットアーカイブ
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荒川ゆうネットは、平成16年から22年までに開設されていたサイトです。
内容は、掲載当時のものとなります。

史跡・名所

このページでは、荒川区の史跡・文化財の残る名所を紹介しています。
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見学する場合には次の点に注意してください。
●寺社の境内や個人の邸宅では、まわりの人に迷惑がかからないように静かに鑑賞しましょう。
●一般公開をしていない文化財もあるのでご注意ください。
(事前に所有者または管理者に連絡をとり指示に従ってください。)
●写真撮影や拓本採取をする場合は、文化財の所有者の許可を得てください。
荒川・町屋 ARAKAWA MACHIYA AREA

荒川区の史跡・名所その他のエリア 尾久 日暮里 南千住 坂・渡し

地蔵堀(じぞうぼり)の石地蔵(いしじぞう)
所在地 荒川3-1 周辺地図 地図


この石地蔵は、浄正寺13世寛誉が村の安穏と五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願って、元文5年(1740)に建てたものである。以前は、現在のサンパール荒川の場所(昔の大豆田1190番地)にあった。そのわきに用水堀が流れていて「地蔵堀」と呼ばれていた。大正14年(1925)、現在地に移された。
 当時、地蔵が立っていたところは集落のはずれにあたり、村人が旅立つ際に道中の安全を祈願したと思われ、今も交通安全祈願の地蔵として祀(まつ)られている。



袈裟塚耳無不動(けさづかみみなしふどう)(三峰神社)
所在地 荒川3-22 周辺地図 地図


 もと仙光院(廃寺)の門前(荒川2-4付近)にあったが、明治29年(1896)、三峰神社内に移された。
 耳無不動には仙光院9世光慧(こうえ)と新吉原遊女紅山の伝承がある。悲恋の末、悪病にかかった光慧は、不動のお告げを得て、自分の衣を埋め、その上に石不動を安置したと伝える。山東京伝は、この不動を題材として、黄表紙『三河島御不動記』を著した。台座は宝暦10年(1760)銘、道標も兼ねた。耳病に効目があると、今も信仰の対象になっている。(区指定文化財)



*文化財についてさらに詳しくお知りになりたい方は、各報告書をご参照下さい。(区内図書館や区役所2階の情報提供コーナーでご覧になれます。区役所3階の教育委員会社会教育課、及び荒川ふるさと文化館では有償頒布もしています。)

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問い合わせ先 荒川区管理部情報システム課
電話:03-3802-3111(内線 2151)

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