荒川ゆうネットアーカイブ
 荒川ゆうネットアーカイブは
 荒川区の地域ポータルサイト「荒川ゆうネット」の
 過去ログです。
トップページ > 特集 > 花と緑のリレー 区民ボランティアの輪 第4回 荒川さくらそう会
荒川ゆうネットは、平成16年から22年までに開設されていたサイトです。
内容は、掲載当時のものとなります。
花と緑のリレー 区民ボランティアの輪
荒川さくらそう会で育てている「さくらそう」とは、日本古来の「さくらそう」のことです。
花屋で見かける桜草は「プリムラ(西洋桜草)」という欧米で鑑賞用に品種改良されたもので、
「さくらそう」とは異なるものです。
現在、環境省の植物レッドデータでは「さくらそう」は、絶滅危惧種に分類されている貴重な植物です。
荒川さくらそう会の代表・宮本米吉さんにお話を伺いました。
第4回 荒川さくらそう会 INTERVIEW 大切に育てていかなくてはいけないと襟を正す思いです 荒川さくらそう会 宮本米吉さん
荒川さくらそう会 宮本米吉さん

DATA
荒川さくらそう会

目的:趣味の同好者によるさくらそうの栽培普及と会員相互の親睦をはかる。

事業:1.苗の配布 2.栽培の指導 3.展示会の開催 4.見学会 5.会報の発行 5.その他会の発展に必要と認める事業

年会費:3000円

荒川区とさくらそうの由縁を教えてください。

写真
数百の苗が整然と並ぶ宮本さんの庭
 隅田川の川べりにある、尾久の原の「さくらそう」は、江戸期には浮世絵にも描かれるほどの花見の名所でした。白魚を投網で採り傍らに「さくらそう」を添え紅白の彩りを愛でたり、細い茎は剣山に差せないので寒天の上に生けたり、花のみを水盤に散らしたりと、様々に花の趣を楽しんだようです。
そもそも尾久の原に「さくらそう」が群生するようになったのは、隅田川上流の埼玉県の「さくらそう」が洪水の時に流れ出し、下流である尾久の原に流れ着いて定着したからではないかと考えられています。
 当時、尾久の原は、アシやヨシが生い茂る湿地帯でした。夏は、背の高いヨシやアシが日陰を作り直射日光から「さくらそう」を守り、冬は、それらが商売用に刈りとられたのち、更に野焼きが行われていました。そのため春に芽吹くときには、障害となる他の草木がないという好立地でした。また、隅田川の洪水が「さくらそう」の根元に増し土の役目や肥料分を補給したり、覆土になったことなど、いくつかの好条件が重なって群生していきました。
 しかし現在は、開発や盗掘によって見る影もありません。かつて大群落として有名だった、さいたま市の田島ヶ原の「さくらそう」は特別天然記念物となり、北区の浮間ヶ原でも保存会の手で守られている状況で、絶滅危惧種となってしまいました。

さくらそうの変遷を教えてください。

写真
さくらそうは、色も形状も様々有ります。

 野生種であった「さくらそう」が園芸品種として栽培や鑑賞方法が確立されたのは、江戸期に遡ります。
隅田川べりは将軍家が鷹狩りをするお狩場で、将軍が自生している「さくらそう」を愛でたところ、お付きのものが持ち帰りお屋敷で品種改良を重ね、更に美しい「さくらそう」として献上したのが始まりのようです。旗本や公家の屋敷で門外不出という厳しい監視下のもと、こぞって栽培を行い、様々な種類が生み出されました。生み出された「さくらそう」は「優美の姿」「青葉の笛」「井筒」「勇獅子」など、優雅な名前と共に観賞用として大切に育てられていきました。

 江戸期に流行し円熟した「さくらそう」園芸は、幕末からの政変に翻弄されていきます。将軍家や武家が解体したことにより、手厚い庇護のもと門外不出として大切に育てられていた「さくらそう」栽培が困難になりました。また関東大震災や戦争により「さくらそう」栽培は、更に衰微の一途を辿ります。戦後の食料難の時代には、花を作るよりも食べ物を作ることが優先されました。そんな中にあって「さくらそう」の将来を憂慮した諸先輩方が、各地に散ってしまった「さくらそう」を、大変に苦労をして集めました。何処の誰それが育てていると聞けば、1芽でも分けてもらいに出向いたそうです。またそのようにして集まった「さくらそう」でしたが、異名同品が沢山あり名前と同定するには、国会図書館に通ったりと苦労を重ねたようです。
 
写真
さくらそうの名、開花時期、花芽等、詳細な記録を残している。
 先人のこのような苦労の上に、私たちが可憐な「さくらそう」を鑑賞できることを考えれば、大切に育てなくてはいけないと、襟を正す思いです。

さくらそうとの関わりを教えてください。

 現在日本さくらそう会が認定している品種は297種あり、江戸時代からの品種や再発見されたもの、新たに作り出したものなどがあります。「唐紅」という品種は、私が作り出しました。形状が中国のさくらそうに似ていて、くれないの色彩が印象的なので、このように命名しました。認定されるには「誰が見ても美しいと感じる」「過去に例がない」「本人以外にも栽培を試みてもらい良しとされる」など、いくつかの基準があり、簡単にはいきません。認定種に加えていただけたのは大変名誉な事だと嬉しく感じています。
写真 わたしは26歳のときに、日比谷公園の展示場で「さくらそう」に魅せられてから現在まで栽培を続けてきました。サラリーマンを続けながらの趣味でしたので、平日の手入れは妻の協力が欠かせませんでした。妻も植物が好きなので、共同作業を厭わず続けてくれ二人三脚で育ててきました。
  もともと人の上に立つのは苦手な性格なのですが、荒川区の要請で1994年に「荒川さくらそう会」を立ち上げて12年になります。
  現在会員は22名で、私が中心となり講習会や折々の指導も行っていますが、栽培が難しい花であるため、毎年花を咲かせるのは至難の業です。
  会員には、私の栽培している中から花芽がついているものを、毎年5種類選って差し上げていますが、次年度には絶えさせてしまう事も多く残念です。
  会員数については、花芽を分けてさしあげられる限度があるので30人以内がせいいっぱいです。
  入会の条件は「さくらそう」を育てる場所がある方、単に花好きという以上にやる気がある方でないと難しいでしょう。
  「さくらそう」は、よく大和撫子に例えられます。その心はたおやかなうえに繊細で、すぐにも折れてしまいそうなのに、風雨に強く翻弄されながらも芯が丈夫だからです。
  恒例の区役所正面玄関での「さくらそう」展示は今年で、21年になります。
日本女性に例えられる可憐な花を、ぜひ見にいらしてください。





平成18年3月掲載記事
問い合わせ先 荒川区管理部情報システム課
電話:03-3802-3111(内線 2151)

前のページへ戻る
トップページへ戻る
ページの先頭へ戻る

トップページへ戻る